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そんな時、彼が流した一筋の涙。



どうしてこんなに痛ましい顔をするんだろう。

どうしてこんなに絶望的な顔をするのだろう。


玲くんを苦しめてまで次期当主を奪い取って、『気高き獅子』として大人からも畏怖されてきた切れ者の男のくせに、どうして初対面で平凡この上ないあたしに、此処まで無防備に泣き顔を晒すことができるのか。



9時を告げる鐘の音が聞こえてくる。


空に…ヘリの音が煩く聞こえるようになった。



泣きながら――

紫堂櫂はあたしを見ていた。


ただじっとあたしだけを。


吸い込まれるような…

憂いの含んだその瞳。


風が彼の黒髪を揺らし、

あたしの頬を撫でた。


まるで彼に手を添えられているような気分。


静かに吹く冷たいその風は、

何だかとても懐かしい気分がして。


心が切なくなった。


だけどあたしは判っている。


これは錯覚。


あたしの過去には…


――紫堂櫂は存在していなかった。


そうだよね、玲くん?



あたしは目をそらすことなく、紫堂櫂を見ていた。


彼は…身体を震わせた。


こんなに大きな…逞しい"男"の身体をしているのに。

こんなに…見惚れるくらいの美形のくせに。

触れれば切り裂きそうな圧を放っているというのに…。


まるで小さな子供のように…怯えた顔をした。

あまりに無防備すぎた。


――…ちゃあああん!!!


頭の中の何処かで、小さい子供が泣き始め、




「好…き…だ」



そんな3文字の言葉と混じり合って、闇に響いた。