汗ばんでいた身体が、突如冷えた風に晒されてひやりとする。


動けない。


ぴくりとも身体を動かすことが出来ない。


これが…"魅入られた"というものなんだろうか。


逃げなきゃと思うのに

逃げたくないと思う自分が居る。


焦慮と混乱の最中、久遠だからいいやという諦観する自分が居るのが判る。


「せり…逃げないの?」


返事すら出来ない。


喉の奥がひりついて。


YESもNOも答えられない。


目の前で久遠が、自分の上着を放るのが見えた。

白いシャツのボタンを半分外して。


いつものような扇情的な格好のまま、妖艶に笑った。


浴室には…久遠の艶気だけが充満し、息苦しくてくらくらした。


「せり…これは"同意"だとみなすぞ?」


未だ目を外せないあたしの視線を絡ませたまま、妖艶な光だけを増す久遠の瞳は、炎のように真っ赤に燃える。


激情の紅紫色。


逃げなきゃ。

逃げられない。


逃げなきゃ。

何で?


――…ちゃああん!!!


頭に響く子供の声。


泣いて泣いて、あたしを急かす。


自分だけを見てくれと泣きじゃくる。


誰の声?


まるで――

幼い頃のあたしの声のように。


久遠しか見えていなかった、久遠だけを必死に追い続けてきたあの時のあたしのように。


何で、今…こんなことになっているんだろう。