キリと悪魔の千年回廊

ジークフリートに暴れ出すつもりがなさそうだと見てとって、近衛兵たちは安堵の息をはく。

「天空の魔法使いよ、やはりそなたと我らとは相容れぬな」

二人のやりとりを見守っていたイルムガンドルが静かな声音でそう言った。


キリは、内部上空に住むドラゴンの存在をはじめて知ったときのことを思い出した。

「天の人ってどんな人たち?」

ドラゴンが登場する絵本と魔法の書物とを見くらべて、わくわくしながらたずねた幼いキリに、

霧の魔物の王は、

「人ではあっても、大地に住む人とは言葉どおり天と地ほども考え方が違う連中だ」

と答えた。

「容易に理解し合える相手ではないな」

ロキはそう教えて、

「なにも天空の魔法使いに限ったことではない。
地上に住む人であっても同じことだ。

何をもっとも大切だと考えるかは、人によってそれぞれ違うもの。

みな考え方の違う者どうし、人と人とも簡単には相容れぬ」

首をかしげるキリの頭を優しくなでながら、魔王はこう続けた。



「己の考えをただ押しつけようとしてもうまくゆかぬ。
まずは相手を観察し、認め、自分から受け入れなければな。

だが、キリ。
魔法使いならば、相手を知ってなおそれでもゆずれぬ己の内なる声があれば貫け。

たとえ相手に伝わらず、理解されなくても、それはおまえの魂の形だ。
魔法使いはそれを曲げてはならない」




キリは魔王のその教えに従った。

ついでに、
シムノンから学んだ「気に入らない者は後ろから殴り倒す」という手段も実践したわけだが。


「だが理解できずとも、同じ目的のために手を結ぶことはできよう」

と、イルムガンドルがジークフリートに言う。

割り切ったその考え方は、国と国との協定と同じだった。

「俺はこの王子とキリに従うだけだ」

ジークフリートの言葉を聞いて、
イルムガンドルはディジッタと一瞬、何とも言えない視線を交わし、

それから、

「ここに集った者は、王家に最も忠誠厚き騎士たちだ。
彼らの口からそなたのことが漏れる心配はない」

と、近衛兵たちを示してジークフリートに言った。

「民衆にも諸侯にも、そなたへの怒りと憎しみを抱く者は多い。
黒幕を見つけるまでは、ラグナードがそうしようとしたように、そなたの正体はふせておいたほうが都合がいいのは確かだ」

イルムガンドルはラグナードを見て苦笑した。

「こんな手段をとらずともすむように、王であるこの私には、おまえ自身の口から包み隠さず真相を話してほしかったがな」

「……もうしわけありませんでした。お許しください」

ラグナードが肩を落として小さく謝った。

「しかしその背中の翼をなんとかしてもらわねば、貴族たちはともかく、宮廷魔術師たちに正体を隠すのは不可能だ」

と、イルムガンドルがジークフリートの白い羽に視線を送って、

「じょうだんじゃない」

ジークフリートがやっぱり嫌がった。

「こんな高い場所で翼を消すなんて俺はいやだぞ」

「ディジッタ、なんとかならんのか?」

国王が宮廷魔術師にたずねて、

「うーん……」

ディジッタも翼を生やした少年をながめてうなった。

「わたし思ったんだけど」

と、口を開いたのはキリだった。

「ジークフリートってさ、べつにこの高さから地上に落ちても平気なんじゃないかな」

キリは粉々にくだけて床に散らばったイスの残骸と、
その木片がいくつかくっついている長い銀髪とをながめた。

「炎で燃えなかったり、イスでたたいてもへっちゃらなんて……どう考えても、ふつうの地上の人間の体じゃないよ」

キリはさきほどの食事風景を思いうかべて、

「だいたい、宝石をかじったり金属の食器を食べたりできるのもおかしいよ。
ふつうはそんなことしたら、歯が折れるか、口の中が血だらけになっちゃうと思うの」

「そいつは言えてるな」

ディジッタもうなずいた。

「その体、見た目だけは私たち地上の人間の姿と同じだが、強度はドラゴンの体のままのようだな」

「そのくらい頑丈なら、地面に落っこちてもへいきなんじゃないかな」

二人の魔法使いは口々にそう言った。

「そうか……?」

ジークフリートが心細そうに、自分の人型の体を見下ろした。

キリは首をひねる。

「自分でわかんないの?」

「俺は地上の人間と同じように体を変化させたつもりだが……」

だとしたら──


キリは、鳥の羽のようなジークフリートの青い耳を見つめて、

彼がパイロープで、
人の姿になるのが初めてだと言っていたことや、
素材がわからない衣服の見た目だけを再現して雪で作っていたことを思い浮かべた。


どうやらジークフリートは、
地上の人間の体の細部や中身をあまり理解しておらず、
あくまで同じ体になった「つもり」ということらしいとキリは思った。


「どう見ても、同じじゃないよ」

ジークフリートが何かを得たようにハッとなる。

「そうか! キリはそれを確かめるために俺を殴ったのか」

どうしてとつぜんキリにイスでたたかれたのかさっぱり理解できず、ジークフリートは彼なりにずっと気になっていたようだ。

キリはほがらかな笑顔で首を横にふった。

「んーん。それはぜんぜん違うの」

「…………ぜんぜん違うのか……」

「でも、そんなわけだからさ、ジークフリートは背中から翼消しちゃってもへっちゃらだよ」

「…………」

なにやら葛藤している様子で、ジークフリートが黙りこむ。

「そもそも宙に浮いた軽鉱石の岩がそんなに簡単に地上に落下するわけないし」

「そうだな」

とラグナードもキリに同意する。

「落ちそうな場所に行かなければ、ここから地面に落っこちることなんてまずないんだし」

「まったくそのとおりだ」

「それだけ頑丈な体なら、落っこちてもケガすることもないし、
もういざとなれば、地面とぶつかる前にドラゴンの姿にもどっちゃえば……」

「それはダメだッ!」

あわててラグナードが声を上げて、

「おまえたちがそう言うなら……」

ジークフリートがしぶしぶ背中の白い翼を引っこめた。

「おいッ」

思わずラグナードはツッコミを入れた。

「どの部分で納得した!?
もどっちゃう気か!?
いざとなったら竜の姿にもどる気なのかッ!」

しれっとした顔で視線をそらすジークフリートのえり首をつかみラグナードが騒いで、

「問題は、ラグナードが王宮内を連れ歩いて、これまでにすでに翼の生えた天の人の姿を目撃した者についてだが……」

イルムガンドルがあごに手を当てて考えこんだ。

「まあ、正体に気づく者には、『もう一つの可能性』を伝えておくしかないな」

キリとラグナードは、先刻のやりとりを思い出した。

『もう一つの可能性』

つまり、

ジークフリートを、
パイロープ奪還に手を貸してくれた別の天の人だと説明するということだ。


「さて」

とイルムガンドルが言って、

国王とディジッタがまた視線を交わし、

「そろそろおまえがどのようにして天の人を従えたのか──偽りではなく、パイロープで起きた真実を、はじめからきちんと聞かせてもらいたいものだな」

「ラグ、おまえの話の何が真実で何がウソだったのか、私も知りたい」

ラグナードの二人の姉たちはそう言った。


ようやく、ラグナードが

パイロープでの本当のできごとを語り始める──。