男「葵、準備は出来たのか?」

葵「万端よ。そっちは?」


葵とは桜太夫のことで、忍者名である。

男の名は弥七。
こちらも甲賀の忍びであるが、普段は薬の行商をしている。お上(将軍)と葵とを結ぶ密通者だ。



弥七「おぅ。こっちだって完璧だぜ。俺は少し離れたところからお前について祇園に向かう。」



話しているのは今夜の段取り。

忍びとして情報ルートを断絶することは不可能なのだが そこはもちろん手をうっている。


すでに 葵や弥七の代わりに、甲賀から新たな忍びが送り込まれているのだ。


だから弥七も、安心して桜太夫と共に吉原を出ることが出来るというわけ。












子の刻下がり。

いよいよ桜太夫最後の花魅道中がはじまった。


三味線や尺八の愉快な音と共に、いつもより沢山の客達に見守られ


禿や新造、男衆等の声が高々と響く。

「さくらたゆうの おね〜り〜!!」


この声に合わせ

主役の桜太夫を先頭に

花魅達が列になって
ゆったりと八の字歩き(足を後から前へ、八の字を描きながら滑らせるような歩き方)をする。


禿たちの少し後ろを、綺麗な着物を身につけ、男衆の肩に手を置いて歩くこの姿は実に優美で


江戸時代には、男性だけでなく、世の女性達からも憧れの的だったという。


「桜太夫の おね〜り〜〜」


禿たちが着ている衣の背中には おのが仕える花魅の名が大きな字で書かれている。


楓と椿はこの「桜太夫」と書かれた着物が大好きだ。



誰よりも誇らしげに声を出している。



「おね〜り〜〜〜!!」



男衆の持つ行灯もしかり。

『桜太夫』の行灯は 他の誰の行灯よりも美しい光を放っていた。