初めは偶然だと思いました。

 茎は乾き、花は茶色く枯れ、葉っぱはくたりと頭を下げるようにしおれてしまった花に、私は触れたのです。

 可哀想に。昨日まではあんなに元気よく咲いていたのに、と。私は無理かもしれないと思いながらもたくさんの水をあげ、眠る前に枕の隣で手を合わせて祈りました。

 すると、どうしたことでしょう。

 次の日、花を見てみると、昨日あんなにも死にそうになっていた花が、見事咲いているではありませんか。乾いていたはずの茎はみずみずしい緑色で、葉っぱもぴんとお日様に向かって伸びています。茶色くなってしまっていた花びらは、まるで生まれたばかりの赤子のように元気よく、朝露を受けてきらきら輝いていました。

 ぽかんと大きな口をあけたままの私は、さぞ間抜けな顔をしていたことでしょう。

 あいた口がふさがらないとは、まさにこのことです。

 しかし、私は自分が触れたから花が生き返ったとは、そのとき全く考えになかったのです。周りには同じように白い花びらをつける花々がたくさん咲いています。たまたま見間違えてしまっただけでしょう。もしくは、水やりをして、昨日は見つけることができなかった蕾が花開いただけ。そう思っていたのです。私は花に触れ、話しかけるのが大好きです。その日も、また違う日も、私は花に触れました。元気な花にも、枯れそうになっている花にも。

 すると、やはり次の日、枯れそうになっていた花はなにごともなかったかのように、すっかりと元気になっていたのです。

 そうして、小さな村の中で、私はいつしか指をさされる存在になってしまったのです。