「―――準備が整いましたよ」



 呼ばれた私たちは、先生と一緒に奥の部屋へ入った。

「日向さん、これを」

 そう言って先生は、私に透明な石が付いたシルバーの指輪を差し出した。

「これを、付けるんですか?」

「えぇ。それを、左の小指に付けて下さい」

 言われるがまま、私は指輪をはめた。透明で淡い光を放つ石に、つい見惚れてしまいそうになる。

「―――美咲ちゃん」

 振り向くと、雅さんは笑顔で私を見ていた。

「これからあっちの世界に行くから。――抱いてもいい?」

「だ、抱く!?」

 いきなりの言葉に、私は驚きを隠せなかった。
 なんとなく言いたいことはわかるものの、雅さんならやりかねないという思いがあったから。

「……ミヤビ。誤解を招くような言葉は慎みなさい」

 その言葉に、ちょっとつまらなそうにする雅さん。軽くため息をつくと、改めて言い直してきた。

「ここに来た時みたいに、抱っこしていいかな~って。ほら、さっきちゃんと聞くって約束したでしょ?」

「だ、だったら普通に言ってよ……」

「あれ、なにか勘違いでもしたの~?」

 楽しげに微笑む雅さんに、私は恥ずかしくて顔を見ることができなかった。ちょっととはいえ、言葉通りの意味を考えてしまったのだから。



「――ミヤビ、いい加減にしなさい」



 諭すような冷ややかな言葉に、雅さんは一瞬、体を硬直させた。

「ス、スミマセン……」

「分かればいいのですよ。余計な真似をするなら」

「わかってますから! その目だけはやめて下さい!」

 先生も、魔眼の持ち主なのかな?
 もしそうなら、先生はどんな力があるんだろう。雅さんの様子からすると、先生が強い力を持っているとは思うけど。

「それでは、あちらに行きますよ」

 ……また、向こうに行くんだ。
 今度も無事に帰れるのかと、段々と心配になってくる。

「じゃあ美咲ちゃん、抱えるよ?」

「は、はい……」

「そんな怖がらないで。――ほら、おまじない」

 そう言って、雅さんは私の両手を包む。じんわりと雅さんの体温が伝わり、ちょっとだけ、気分が落ち着く気がした。

「少しはマシになったかな?」

 不安は消えていこうとしていたのに、私の中には、今度は別ななにかが湧いてくるようで――。よく分わらないけど、それはほんの少し、心が温かくなるような感覚だった。

「……ありがとう、ございます」

「どういたしまして。じゃあ、しっかり掴まっててね」

 頷くと、さっと慣れた手つきで抱える雅さん。胸元の服を掴めば、そっちじゃないよと言われてしまった。

「首に回した方が安定するでしょ?」

「それは、ちょっと……」

 その体勢だと、顔が近くなってしまう。今の状態でも恥ずかしさを感じるのに、これ以上はまだ慣れそうにない。

「このままで、大丈夫」

「そう? オレとしては、もっとくっついてほしいけどねぇ~」

 悪戯っぽく微笑む雅さんに、私は顔を背けた。顔が赤いからって理由もあるけど、なにより恥ずかしい。

「私が先に行きますので、二人は後に続いて下さい」

 そう言って、先生は部屋の奥に置かれた姿見鏡に片手で触れた。すると――鏡が徐々に、淡い光を放ち始める。どんな仕組みなのかと思っていれば、先生はあっと言う間に、鏡の中に入ってしまった。

「それじゃあ行くよ」

 自然と、服を握る手に力が入る。
 先生の後に続き、私たちも、鏡の向こうへ足を踏み入れた。
 湖の時とは違って、なんだか浮遊感を感じる。次第に眩しくなり、目を閉じながら進んでいると、



「――――着いたね」



 その声に、私は目を開けた。
 空は赤く、青い月が浮かんでいて――間違いなく、私は別の世界に来たんだと実感した。