「…やっば…」

まぶたの向こうで翔太くんの声が聞こえた。
あたしの頬からも、手が離れた。
手が離れると、さっきまで添えてあったところがほんの少しだけ、物足りなくて、寂しい気持ちになった。


「…っ」


それとほぼ同時だった。
あたしは目をパッと見開いた。


確かに、聞こえた。


―――“声”が。



あたしは隣にいる翔太くんを見た。
翔太くんは、両手でらしくないが、顔を覆っていた。
耳を真っ赤にしていて、チラリと見える頬も、赤く染めていた。


――翔太くんの声じゃない。


「…ぁ…」

あたしはハッとして、何かを思い出したかように、空を見上げた。
廊下の縁に手を置き、立ち上がる。
春の優しい風が、あたしのスカートと髪を揺らし、それと心の奥底の気持ちを揺らした気がした。

「…美月?」

「ちょっと、出掛けてきます」

心配そうにあたしの名を口にした翔太くんを無視し、きびすを返すと、玄関に向かって歩き出した。

「ちょっと…美月!!」

翔太くんの声が響く。
だけどお構い無しにあたしは、艶々の木の板で、できた廊下に足を滑らせるようにして前に進んだ。

忝ない。
翔太くんよ。

あたしは靴をはき、走って道路に出た。
向かう場所は、そう、あそこ。


気がつけば、目的地の真ん前。
あたしは石段を掛け上がり、息を調え、正面を向く。
相変わらず、綺麗に咲き誇る桜たち。
それに並んで、綺麗に建てられ無駄な造りがない神社。

「…あ」

舞を踊る舞台(畳)に横たわる、真っ黒い服を身に纏った不審な人物。

「また、寝てるし」とあたしは呟き、参道を進む。

この時代に歯向かうような服装で、何も飾らない綺麗な髪。

寝返りをつく、“彼”にあたしは目を釘つけにする。
運よく、こっちを向いた“彼”はあたしに気付いたのか、

「…あれ?」

と。
寝起きの一言。
ほんとに寝言なのか心配になる。
ダルそうに身体を起こした“彼”は頭をかき、あたしを笑顔で迎える。

綺麗な瞳をした――遥が。

「待っていたよ。美月ちゃんが来ることを」

「…嘘つき」

遥は喉をクツクツ鳴らして笑い、あたしを手招く。

「こっちに、おいで」

「…」

あたしを猫のようにあしらい、それに抗うことを知らないあたしの身体は、ゆっくりと止めていた足を前に滑らせた。