コンクール会場までの移動時間は一時間。

その一分一秒が、無駄にできない大切な時間だった。


信汰は斎藤先輩に青い楽譜を見せてもらいながら嶌田部長のパートを練習していた。

唇が疲れないように気をつけながら、入念にリズムを確認する。


みんなは斎藤先輩と信汰の一生懸命なを見守っていた。




砂山先生は、三年生から指揮の指導を受けていた。

拍子が変わるとき、どうしてもテンポがずれてしまい、何度も注意されてる。

いつも生徒に注意してばかりいる砂山先生が、今は生徒に注意を受けて謝ってる。

なんだか不思議な光景だった。




遼ちゃんは、窓から見える流れる雲を、

ただ黙って見ていた。



隣に座る私の視線に気づくと、遼ちゃんはいつものように優しく微笑んでくれた。


だけど、その微笑みの奥にある不安を

私は知ってるよ…。



小さい頃は気づけなかったけど、遼ちゃんが無理して笑う時は、右頬の笑窪がはっきりと見えるんだ。

きっと頬の筋肉を無理して使うから。



ほら、今の遼ちゃんの笑顔は無理してる。

笑窪がくっきり見えてるよ…。



遼ちゃんの手を握り締めた。



もう一人で不安を抱え込まないで。


私がいつも傍にいるから…。




「遼ちゃん、私ずっと応援してるからね」


私の言葉を聞いて、遼ちゃんは私の手を握り返した。


「ありがとう。俺、葵がいるから今もこうしていられる。
啓介もコンクールも大丈夫だって思えるよ」




遼ちゃんがもう一度微笑んでくれた頬には、笑窪が薄っすらとだけ顔を出していた。