ハノンの教本の30番くらいまでがこなれてくると、ツェルニー40番に出てくるオクターヴを跳躍する動きが楽しくなってくる。
親指を軸にして、オクターヴ向こうに跳ぶ軽やかな音。アルペジオに分散和音。
手の柔軟体操をしているようで気分がいい。
四季はバレエやフィギュアスケートにも興味はあるが、子供の頃に「あんたは無理」と早瀬に止められたため、ピアノひとつに集中してきた。
だから、ピアノを弾いている時、自然にその曲の情景をイメージしながら弾くという感じになるのだ。
それを聴いている人からすると「世界がある」という言葉になったりもする。
ピアノという鍵盤の上だけが綾川四季を表現する空間だった。
でも。
(人の声──)
ピアノより喜怒哀楽激しく、快さだけではなく、翻弄も、様々な揺らぎも連れて来るもの。
揺葉忍の声は、四季の心に、彩り豊かな世界を運び込んで来た。
自分がイメージしたわけではない、世界の広がり──。
丘野樹の心に高遠雛子の歌が響いているように、自分の心には揺葉忍の歌が響いているのだろう、と四季は思った。
ツェルニー40番の練習曲を何曲かおさらいして、林光の「森は生きている」の楽譜を弾き始めた。
桜沢静和の編曲した「森は生きている」は、林光作曲のそれを元に編曲されているので、弾いておくと効果的なのだ。
もっとも、桜沢静和の編曲したそれは、編曲というよりは変奏曲と形容した方がより近い。
変奏曲と言えば、わかりやすい曲では、モーツァルトのきらきら星変奏曲などがあるが、桜沢静和の仕上げたそれは「森は生きている」のテーマのメロディーが効果的に変奏曲風にアレンジされ、物語に沿ってそれが度々使われながら、ラストは「森は生きている」の曲で閉じるというオーケストラ曲に仕上げられていた。
桜沢静和は日本のモーツァルトと呼ばれた林光の音楽に深い感動を覚えて、この曲を編曲したくなったのではないかと思えた。
尾みじかなんかは楽譜から動物たちの心が跳ねる様が映像のように見えたし、氷の音が聴こえた。


