「おはよう」
挨拶をされた舘野馨が、その意外な人物に思わず挨拶を返す。
「おはよう、高遠さん」
高遠雛子は魅力的に微笑む。
「昨日、私の鞄が教室にまだあるのを心配して、最初に動いたのが舘野くんだと聞いたわ。一応、ありがとう」
「ん。無事なら良かった」
物静かで無愛想という印象の舘野馨は、わずかに表情を崩す。
雛子のいつになく素直な表情が馨には意外と言えば意外だった。
昨日教室を吹き抜けた台風のような出来事を見る限りは、綾川四季をめぐってもつれている人間関係が、この先どうなるのだろうとまったく予測がつけられず、心もとない気持ちでいたのだ。
音楽が好きな身としては、人間関係のことで音楽が楽しめなくなるような状況にはなって欲しくない。
「俺は成功させたいから。文化祭も、定期演奏会も」
そう述べると、雛子もそれに頷いた。
「そうね。昨日色々言葉にしたら、少しだけすっとしたわ。──純粋に音楽を楽しみたいわね」
雛子はそう言って、自分の席についた。
舘野馨はそれを見てほっとしたところで、揺葉忍が教室に入ってくるのを見る。
登校していた生徒たちはまだ疎らだったが、雛子に続いて忍が入って来るのを目にして、一瞬、ささめいていた話し声が止まった。
忍もそれに気づいて一瞬止まったが、特にそれ以上は気にはとめない様子で、雛子のそばを通り過ぎる時、「おはよう」と挨拶をして席についた。
雛子も意外そうな顔をしたが、すぐに「おはよう」と屈託なく返したので、それを見ていた周りの人間は幾ばくかの安心感を得る。
やがて丘野樹も登校してきた。まず雛子に「おはよう」と声をかける。それから揺葉忍のところに歩いて行った。
「おはよう。揺葉さん。四季は?俺、今、A組の教室行ってきたんだけど」
「四季、今日はお休み」
「え…。大丈夫?調子崩したりとかしてるの?」
「ううん。そんなに調子は崩してはいないんだけど、崩しそうだから休みたいって。…たぶんひとりになれる時間が欲しいんだと思う」
今朝、起きた時、実際に少し体調が良くなさそうだったのだ。熱は無かったが喉がつらいと言っていたので、風邪をひかれると困るし、「今日1日は休んだら?」と言ったのだ。


