忍が桜沢の家に来た時と同じように、桜沢の家を出る時も、荷物は少なかった。

 学校の制服と教科書、私服が何着か、ヴァイオリン、楽譜、目立つものはそれくらいである。

「あれま。女の子なのに本当にシンプルなこと」

 早瀬は忍の持って来た荷物の少なさに目をまるくした。

 忍は「身軽な方が動きやすいですから」と言った。早瀬は頼もしいね、と笑う。

「四季について行ける女は、これくらい身軽でないと飛び回れないだろうし」

 最初から四季には音楽の道に進んでもらうもの、というのが前提で語られるような言葉だった。

 忍は早瀬に尋ねる。

「あの…。早瀬さんは四季にはピアノの道に進んでもらいたいと考えていらっしゃるんですか?」

「うん。そうだね。あの子にはそういう天分があるっていうのが端から見てもわかるから──美歌も『お兄ちゃんはピアノを弾くべきだ』って言ってるし。うちはあたしの代で初めて女が綾川の家を継ぐ形になったから、美歌に継がせてもいいんじゃないかって考えてる人間も結構いるんだよ。どんな仕事でもそうかもしれないんだけど、うちは本当体力勝負でね。祈なんかはそのあたり本当に心配なくて、ありがたいと思ってる。だから、あんたは四季のこと考えてくれたらいい。あたしなんかは音楽のことは本当、わかんないことも多いから。肩身狭い思いするんじゃないよ。あんたはあんたで堂々としていてくれたらいい」

 忍のために空けてくれた部屋は前は祈が絵を描く部屋として使っていたらしい。

 画材などが置いてあったのだが、祈はその部屋では描くことが少なかったため、別の部屋に移したのだと言う。

「あたしと祈は仕事に拘束されている時間が長いし。部屋が遊んでいても仕方ないから、あんたが使ってくれたらいいよ」