「『森は生きている』もね──林光の音楽が良かったから、桜沢静和も作曲出来たんだろうなって。林光の楽譜も見てみた。すごく音が綺麗だった。日本のモーツァルトとか言われていたらしいけど、本当にそういう音になってる。バッハがいてショパンがいたように、林光がいて桜沢静和がいたという気がする」
「楽譜買ったの?」
「うん。桜沢静和と桜沢涼の『森は生きている』にふれていて、林光のそれにふれないわけにはいかないじゃない?林光の音楽、いいよ。クラシック音楽というと敷居が高い感じするけど、林光の『森は生きている』はすごく聴きやすい。聴いて帰った人が、家でも思い出して口ずさめるような感じ」
「ふーん…」
「由貴も林光の『森は生きている』弾いてみたらいいよ。音のイメージがすごく広がると思う」
四季はピアノのことになると余念がない。
本人は勉強というつもりでしているわけではないのだろうが、何故この作曲者がこの楽譜を書いたのかとか、純粋に音を追求してゆくと結果的にそうなってしまうのだろう。
「四季って…何かうらやましい」
「え?どうして?」
「聴いている時は同じ音を聴いているはずなんだよね、俺も。でも四季には音の聴こえ方が、もう普通の人とは違うんじゃないかって思うことがある。実際に弾く時も、すごく選ばれた音を弾いていくっていうのか──そういう弾き方する」
「僕は僕の弾きたい音を弾いているだけなんだけど」
「それがすごいんだよ」
話しながら歩いているうちに器楽室についた。
四季と話していて心が洗われる気がするのは、たぶん四季のピアノに対する思いが純粋であるからなのだろうと思う。
高遠雛子のように、好きな人のためにただひたすらに歌い上げる音楽もまた真実なのだろうが、四季は音楽そのものの輝きに対する愛がある。


