鍵盤の叩き過ぎで指が痛い。
(高遠雛子も半端ない)
由貴は指のマッサージをしながらため息をついた。
あれだけの口を叩くだけのことはある。歌の練習もした上にヴァイオリンまで仕上げているとは。
由貴は忍の弾く『森は生きている』のヴァイオリンを全部聴いたことはないが、雛子の弾く『森は生きている』のヴァイオリンは音の躍動感が鮮やかだった。
あのレベルまでに達すると、嫉妬も芸術ではないかと思ってしまう。
「──おはよう、由貴」
四季の声が教室に響いた。
定期演奏会のピアノ奏者を任されて以来、ふたりは約束をするわけでもないが早めに学校を訪れるようになっている。
放課後はすぐ音楽科との練習が入ってしまうことが多いためである。早朝だと個人同士で自由に練習することが出来るからだ。
「由貴、練習行く?」
四季は鞄を机に置くと、手に楽譜を抱える。
由貴と四季が共通して持っている練習曲集は、ハノンの教本とツェルニーの他にはバッハの平均律クラヴィーアがある。
ツェルニー40番を始めた頃に、もう一冊併用して練習出来る本はないかと四季に話してみたら、バッハの平均律クラヴィーアと、ショパンの24の前奏曲の楽譜を見せてくれたのだ。
24の前奏曲は好きだったし気にはなったが、パッと楽譜を見た感じで、平均律クラヴィーアの方が早く弾けるようになる気がしたため、そちらを選んだ。
四季が登校したら練習に行くつもりではあったため、由貴も楽譜を持って席を立つ。
「練習、ゆっくりめの曲からでいい?昨日弾き過ぎた」
「え?どんな弾き方したの」
「『森は生きている』のソロパートとヴァイオリンパートと合わせていて…延々2時間。休憩なし。それも俺がギリギリ外さずに弾ける限界の速度。四季なら余裕だろうけど」
「僕でもそれくらいの時間になると不安があるよ」
「そうなの?」
「うん。少しずつ持久力はつけるようにはしてるけど。見極めが難しいよね。無理してもう少し、と思って弾くと手を痛めたとか。多少無理をして頑張って力がつくこともあるんだけど」


