時は今




(悔しい)



 雛子は自分の歌に自信を持っていた。自信を支えるだけの努力もしていた。

 だからそれだけの発言をしても周りの人間も聞いてくれた。

 なのに、あの丘野樹という男は──。

 声の限りに傍若無人に叫び出したい気分だった。



 肩を怒らせながら歩いていていると、器楽室の一室から綾川由貴が出てきた。

 練習をしていたのだろうか。『森は生きている』のピアノの楽譜を抱えている。

「ああ、高遠さん」

 綾川由貴とはあまり話したことはないが、由貴は普通に話しかけてきた。

「音楽科、もう練習再開してた?俺も明日からまた参加するから、よろしくね」

 憧れていた四季とよく似た従弟の顔を見て、雛子は胸が詰まる。

 音楽が好きだ。

 好きな音楽を聴かせてくれるあの人が好きだ。

 たったそれだけのことなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。

「由貴くん、時間ある?」

「え?」

「つき合って!私、歌いたいの!四季くんの目の中に私を入れて貰いたいの!」

 強引に由貴の手を掴む。

 流石の由貴も雛子の行動に呆気に取られ、手を引かれるままに雛子について行く。

「ちょっ…高遠さん!?」

「どうして揺葉忍なの?私のいちばん欲しいものを、どうして揺葉忍は全部持ってるのよ!努力しても努力しても無理なものは無理なの!?ねぇ!?」

「──」

「何よ、その顔。ああ、あなたにだって、わからないわよね!だって努力したら学年首席もとれるような頭もあるし、桜沢涼みたいな恋人だっているんだものね!」

「おい」

 由貴の表情が若干険しくなる。怒っているのが明らかに見てとれた。雛子は表情を硬くして口をつぐむ。

「忍には忍にしかわからない苦労があって、今の忍があるんじゃないのか?高遠さんが本当に苦労してる人間なら、そんなこと知ってると思うけど」

「…知ってるわよ」

 雛子には痛いほど判っていた。

 歌をうたう人間として、ずっと揺葉忍を見てきたから。

 けれど。

「私の最高を尽くしても、私の歌は、いちばん聴いて欲しい人の心には、いちばんには響かないのよ」

 雛子の言葉は悲しくこぼれ落ちた。