(だって、こんな音楽を耳にしてしまったら)



 高遠雛子は揺葉忍に一目置いていた。並外れた音に対する感度。どうすればこの音にたどり着けるのかという音に、忍はそれが自然なことであるように最短でたどり着いてしまうのだ。

 手の届かない存在にも思えた揺葉忍が、桜沢静和の急逝とともに姿を消した。

 高遠雛子は心に穴が開いたような気分になった。

 真っ向から音楽で勝負もしないうちから、揺葉忍が消えるなんて許せないと思った。

 それから、高遠雛子はヴァイオリンを狂ったように弾き始めた。いつか揺葉忍が現れたら忍には絶対ヴァイオリンは弾かせない。そう思って弾いてきたのである。

 ところが、再び高遠雛子の前に現れた揺葉忍に、以前の輝きはなかった。

 何かが大きく欠如した音楽。音だけが誰もたどり着けない高みにまで行ってしまって、心は消え去ってしまったようだった。

 それはそれで美しかったが。

(こんなものじゃないのよ、揺葉忍の音は)

 桜沢静和にも認められたほどの音。

 輝きを失ってさえ、綾川四季の心にとめてもらえるほどの音。

(私は選ばれないの?)

 努力をしてさえ、選ばれない人間もいるのだ。

 揺葉忍が以前の輝きを失ってしまった時、そのまま潰れてしまえばいいのにという気持ちと同時に、言い様のない淋しさが雛子の中にはあった。

(このまま潰れるような人間じゃだめなのよ)

 燦然といなければ。そうでなければ。私は誰と戦えばいいのか。





 けれど。





 生き返った揺葉忍の音を聴いて愕然とする。

 いるところにはいるのだ。本物だと呼ばれる人が。

 それも綾川四季の音とともに。