ヴァイオリンを構えた忍が彫刻のように静止している。

 張り詰めた空気。

 静寂。

 0。





(私は音を知らない)





 あなたがいた時、私は私の心に映ったあなたの音を聴いた。

 あなたの音は素敵だった。私の心を揺るがし、彩り、風のように吹き抜けて行った。

 私は喜びあなたの音を愛した。

 けれども、あなたがいなくなり、私の心はまた0になった。

 もうあなたの音を奏でても、その音を共に喜んでくれるあなたはいない。

 音とは何。

 あなたとは何。

 あなたから生まれてきた音とはいったい何だったの。

 あなたから生まれるものがあるのなら、私から生まれてるものは何。

 それは音なの。

 それがあるのなら。

 ──知りたい。





 孤独よ、私を連れて行け。

 そう、何処へでも。

 どんなに愛しても、一瞬にして無くなるものが命ならば。

 音とは何。

 あなたがなくなっても、紡がれていく音とは何。

 私の魂は音を求めている。





 ──透明なピアノの音が紡がれ始めた。

 忍は目を閉じる。

(ああ、あなたも知っている)

 忍の中の「あなた」は今そばでピアノを弾いている人物に移行していた。

(あなたは絶望を知っている)

 静和の音にはない音だった。

 絶対の静寂から響いてくる音。音を求める魂。熱情。

 静和の孤高の音でもなく、由貴の調和の音でもない。

 自然の音。時には激しく、時には柔らかく、歌う。

 声。声。声。

 あなたのピアノは自然の歌声のように響く。

 音を響かせるために生まれた命。その力がとよめき渡る。





 輝くピアノの奔流にヴァイオリンの音が乗った。

(あなたがいなくても)

 私は生きる。