榊はどんな顔をして、何日も飛行機を乗り逃す私を見るだろう。
「前の……彼氏なんだよね?」
 宮下はどこも見ずに聞いた。
「私が、高校生のとき、友人のかかりつけ医だって、それで知り合ったんです。それで、私がどうしてもって無理を言って付き合って。半年くらい。だけど、突然大病院の娘を妊娠させたからって別れたんです。それがもう、5年以上前の話です。
 それからは全く会いませんでした。
 それが、一年くらい前、偶然再会したんです。そしたら彼、まだ結婚してました。だけど、子供は生まれなかった、実は自分の子供じゃなかった、俺はただ、跡取りの座が欲しかったんだって……。桜美院……、あ、坂野咲先生と一緒に働いていました」
「え!? あ、そうだったのか!」
「それから……色々あって……ある日、突然電話がかかってきたと思ったら、離婚してロンドンに行くことにしたって。留学することができるからって」
「……留学のために離婚?」
「大病院の経営に追われるのが嫌になったって、それで、ロンドンへ」
「最初は大病院を継ぎたくて結婚したのに?」
「……そう」
「……、彼と、付き合いたいの?」
「いえ、付き合っても……仕方がない」
「どうしてそう思う?」
「どうしてだろう……。付き合っても、きっと、昔のことを思い出したりして、うまくいかないのがわかってるから……かなあ。会うときは、そこに触れないように、ただ会話をしてるだけで……」
「うん……、香月を幸せにできるとは思えない」
 それは、自分でも分かっていること。
「香月……、香月がその、ロンドンの彼のことを忘れられないということはずっと分かってる。あの、総会の日、全然……いつもと違ってたのを思い出すと、よく分かる」
「……」
「忘れさせてあげるとは断言はできない。だけど、努力はしようと思う」
 人は他人のことなんか簡単に思う。
「私、忘れられないかもしれない!……忘れられないかもしれない」
 静かな店内に自分の声が必要以上に響いた気がして、二言目を少し小声で、しかしはっきりと言う。
 それが、今の自分の中の最大の核であった。榊久司と自分ならば、輝いて仕方ない。いつかまた、輝けるのかもしれないという、浅はかな想いが、今の一番の汚点。
「いいよ、ゆっくりで」
 宮下の声は、いやに明るい。
「必ず時間は経つ」
 そして、落ち着いている。
「もし、忘れられなかったら?」