彼はこちらを見てはいない。
「香月さんって言ったら、美人で有名だからね。今日もお話できて光栄だよ」
「……いえ……」
 とりあえず、苦笑いをして、その場を凌ごうとする。
「僕の周りでもね、多いんだよ、ここに来たいって子が」
「新店からここへですか?」
「うんそう、香月さんみたいな可愛い子がいるからじゃないかな」
「そんな、違いますよ」
 吉川は手を休めずにまだ続ける。
「独身でしょう?」
「はい」
「いいなあ、皆が興味持つわけだ」
「お、大貫店長は結婚されてるんですよね?」
「うんそう、僕のことも知ってるんだ」
「そりゃ、もう有名な人ですから」
 このタイミングで有名という同じ単語を使いたくなかったが、これ以外に言葉が思い浮かばなかったので仕方ない。
「まあ、色んな店行くからねえ……。うんそう、結婚してるよ。子供が一人、女の子」
「おいくつですか?」
「6歳」
「小学生?」
「うん今年7歳で、小学校一年」
 こんな会話になってもどう先を続けてよいか分からない。
「けど僕が独身だったらなあ……、香月さんを口説けるのに」
「ど、本当に独身だったら多分、違う人を口説いていますよ」
「そうかなあ」
 そこで彼はようやく、にこにこしながらちらとこちらを見る。
「違わないと思うけどな……」
 言いながらメモしているノートの次のページを捲る、と、見事に数字が並んだ表が目に入った。
「これ……すごい!」
 香月は話題を変えるために、ノートをじっと見つめた。
「うん、こうやって毎日分析していくとね、次自分がしなきゃならないことが分かるんだ」
「うわあ……すごいですね、丁寧……」
「やっぱりきれいに書かないと分からなくなるからね、字自体は下手だから」
 字は関係ない。問題なのは、そのやり方だ。
「綺麗な髪……」
 決して、何かを意識して寄ったのではない。ただ、そのノートが見たくて少し顔を近づけただけ。
 なのに彼はそこを見逃さなかった。
 香月の長く美しく伸ばした髪の毛に、これまた何の断りもなく、触れる。
「え……」
 驚いて身を引いたが、髪の毛の長さには余裕があって、彼はまだその髪に触れていた。
「特別なトリートメントとか使っているんですか?」
 彼はこちらを見ながら髪からようやく手を離す。
「い、え……」
「元がいいんだ」