「おい、お前。」
じいさんは俺の事を「おめえ」と呼ぶ。俺の名前などとうに覚えたろうに、まだ半人前だからなのか、ぶっきらぼうに呼び捨てる。
「これ、やれんのか?」
唐突にじいさんは、使いすぎて角がとれている小さなノートを黙って差し出した。
そこには雑然としながらも、事細やかに自分のラーメンの味への探究の旅が描かれていた。
俺のようなにわかで、コピーを作るのが精一杯な者との絶対的な断絶、職人としての一途な姿がそこにはうかがい知れた…。
「お前は、性根が悪くない男だから店を預けた。だが、このまんまじゃいけねえ。人様の味で飯を食っていたら、おてんと様をいつまでたってもあおげねえラーメン屋になっちまう。たかが一杯、されど一杯だ。
言いたかなかったが、あの女もいけねえ…。あいつはお前の根を腐らせちまう。もちろん分かっっちゃいようが…。
医者は言わねえが、決して長くはねえみてえだ。…そうだな、2ヶ月だ。コピーで1ヶ月、あと1ヶ月でお前なりの工夫を見せてみな。それがお前との縁(えにし)、してやれる全てだ。」
多くは語らなかったが、じいさんには娘がいて、年頃に店を継がずに男と駆け落ちして音信不通、跡継ぎの見込みもないらしく、跡継ぎ目当てもあってか、今回の引退を決意したいきさつであったようだ。
どうやら、俺は自分には抱えきれない重荷をかせられていたようだ…。だが、まがいなりにも職人の道のとばぐちに立った俺には、いつか超えるべき壁に違いなかった。それが、こんなに早い段階でおとずれるとは思わなかったが、じいさんにはますます頭が上がらない、意気地のない自分の姿に心細さしか感じることは出来なかった…。