漆黒の黒般若

ドンッ

「わぁっ!」

ぼぉーっと考え事をしていた楠葉は誰かにぶつかって倒れてしまった

「すみません、ぼぉっとしちゃって…」

なかなか返事の返ってこない相手を痛む腰を押さえながら見上げた楠葉の顔から笑いが消えた


影になった顔には笑みを浮かばせ
その男からは殺気が満ち溢れている

逃げることも忘れその場から動けない楠葉に男が近づく


殺し屋をしているときでさえこんな人間には会ったことがなかった

腰が抜けてただ男を睨み付けることしかできない彼女の目の前までくると男はしゃがみこむ

「お前…、女か。こんなところに何故女がいる?近藤の所のやつか?あいつも女をおくなら俺に挨拶に来させるのが普通だろ。なぁ、お前もそう思うだろ?」

有無を言わせないその物言いに楠葉は黙ったまま男を睨み続ける


そんな楠葉の顎をくっと持ち上げると
酒臭い顔を近づけてくる
その時、吉田に襲われたときの記憶がフラッシュバックした


「いやぁっ!」


顔を引っ掛かれた男は顔から笑みが消え
楠葉の髪を掴むと勢いよく突き飛ばした

痛みに顔を歪める彼女に近づき手を振り上げる


覚悟を決め、目をつぶり襲ってくるであろう痛みを待った

しかし衝撃はなかなか襲って来ない

それどころか痛みではなく温もりを感じる



おそるおそる目を開けると振りおろす手を掴まれた男と何故かあたしを抱き抱える斎藤さんの姿があった

「申し訳ありません、芹沢さん。この娘はまだこちらに来たばかりゆえ、後でしっかり叱っておきます。なのでこの度のご無礼お許し願いたい」

芹沢と呼ばれた男の手を離すと睨むわけでもなくいつも通りの冷静な顔で淡々と話す


しかしあたしを抱き寄せる右手の力は緩まないままで
ぎゅっとあたしを守るようにぴったりと抱きしめる


「ふっ、俺はこの娘が気に入った。今日のところは許してやるが今後俺には逆らわないことだ」

またあの笑みを浮かべ芹沢は去っていった


ほっとしたあたしに斎藤さんが頭を撫でてくれる


「あの人は新撰組の筆頭局長の芹沢鴨だ。いつもは八木邸にいて顔を合わせることもないがあの人にはくれぐれもきおつけるんだ」


厳しい声だったけど抱きしめる力は優しかった


「あの…、斎藤さん。あたしもう大丈夫です」

自分が楠葉を抱きしめていることに気がついた斎藤はあわてて楠葉から離れた


顔を真っ赤にした斎藤に楠葉も一気に恥ずかしさが込み上げる

「あ、あの…。ありがとうございました」

そう言うとあたしは早歩きで大広間に向かった


男の人に触れられるのは苦手だ

でも斎藤さんに抱きしめられたときはなんだかとても安心した…


そんな事を思い、さっきの事を思い出した楠葉はまた顔を赤くしながら先を急いだのであった