「簪でも買ってやりなよ」


そろそろ帰路につこうという時だった。

よく通る声に足を止められた。

見るとそこは、簪や櫛、紅などを扱う、いわば少し贅沢を売り物にする店だった。

今の世、あまりそういった店は好まれず客も嫌う感があるはずだが、なぜかそれなりに繁盛しているようだ。

不思議に思って品を見る。

そこで納得した。

通常簪は基礎を金やべっ甲にまかせ、真珠や宝石などを散りばめて豪華絢爛に姿をまとめるものだ。

だがそこの店のものは違った。

素材は木だ。

それに朱や褪せた金箔などを塗りつけて目を引くようにしているが真珠や宝石などはついていない。

それらの装飾を施さない代わりに、見事な彫刻で豪華さを誇っている。

つまり豪華に見えるが木を彫っているだけのもので、目は引くが、単価は安い。

だがとても温かみがあった。

それは、贅沢を許されないながらも世の娘たちを輝かせてやりたいという職人が知恵を絞って生みだした優しさのように思えた。

なんと美しい品々なのだろう。

見とれてとると、店主が再び声をかけてきた。


「簪でも買ってやりなよ。奥さんに」


『奥さん』。

その響きに、胸がはやる。


「見たところ、なんも着飾ってないじゃないか。別嬪なのに勿体無い。安くしてやるからなんか買ってやりな」


私の姿は確かに、街を歩く若い娘と比較してみると少々質素なようだった。

しかし今の私達の設定は『夫婦』。

嫁いでいない娘たちとは違い、『生活感』が要求される関係。

おかしくはない。

だがそれでも着飾りたいと思うのが普通の女というものなのだろうか。

私にはそこらがよくわからない。

西の国に嫁いでからというもの、そこそこ見栄えのする着物や装飾品は与えられた。

正室としてみすぼらしい事にならないよう、という最低限の心遣いなのだろうと理解している。

しかし誰も見ず、誰にもなにも意見を言われたことのない私は、着飾るということに意味を見いだせない人間になっていた。

美しいものは美しい。

それくらいはわかる。

しかしそれに何の意味もない。

着物が見事であろうが装飾品が美しくあろうが私自身が美しい存在ではないのだからどうしようもないのだ。

親切に勧めてくれる店主にどう反応していいかわからず、彼を見ると目が合った。

少し迷惑そうな、困ったような顔をしている。

早く帰りたいのだとわかった。

朝から彼は夕刻にくるであろう雨を危惧していた。

帰路を早くに決断したのもそれにぶつからない為だ。

それがこんな所で足止めを食らってしまったことに苛立っているのだろう。

適当にあしらえばいいものを、こと対象が私に向けての品なばかりに返答に窮しているように見えた。

私の存在が、彼を困らせている。

それに胸が痛んだ。