シャクジの森で 〜月夜の誓い〜【完】

「父君、母君、失礼いたします」

隣でアランが挨拶している。

大きな手に包まれている手が、くいっと引っ張られる。

それに従うように付いて行くと、パトリックが扉の外で立っていた。

すれ違いざま、手をあげて「おやすみ」と言っているのを見て、大事なことを思い出した。


―――そういえば、まだあの時のハンカチを返していない。どうしよう・・・。それに、お礼もまだ・・・。


引かれている手に逆らうようにして止まると、パトリックの方に向き直った。

「パトリックさん、あの時はありがとうございました。今日も、わたしのつまらない話を助けていただいて・・・」

薔薇園でのことも含めて感謝の言葉を伝え、頭を下げる。

今日も異国の文明の話に分かりにくい表現があって、説明するのを何度か助けてもらった。

「そんなことはないさ。君の話はとても興味深くて面白かったよ。また聞かせてほしいな。それに、私にも君の手料理を食べさせてくれるかい?」

これ以上に無いほどの甘い微笑みを向ける。

この顔は他のどんな令嬢たちにも見せたことがないものだ。

それを知らないエミリーは、心臓がトクンと脈打つのを感じ、

―――こんな笑顔を振りまいているのだもの、ご令嬢たちを虜にするわけだわ。

などと考えていた。


「わたしの、てりょ・・・」

突然、アランに任せていた手に力が込められた。

驚いて言いかけた言葉を飲みこみ、振り返るエミリー。

「もう遅い。早く帰った方が良い・・・パトリック、これで失礼する」

痛いくらいにぎゅっと握られ、グイッと力強く引かれ、転びそうになりながら慌てて足を動かした。

その危なっかしい身体を見かねたように、アランの腕が腰にまわり、ぐっと支える。

「パトリックさん、おやすみなさい」


強く引き寄せられながらも挨拶をすると、隣をちらっと仰ぎ見た。

なんだか怒っているように見える・・・

不思議・・・今日はいろんな表情を見られる日だ。

今まで気が付かなかっただけで、本当は無表情ではないのかも。

とにかく、今日は心臓が忙しい一日だった。

帰ったら早く休もう―――。



政務塔の廊下、角を曲がればいつもの塔の見なれた廊下が見えてくる。

ところがアランはそこに向かわずに逆方向に行こうとする。

「少し、寄り道しよう」