いざよいの月

 ドアノブを回す小さな金属音が室内に響く。美緒はその音に振り向くと、入口に立つ坂井と目が合った。
「ただいま」
 坂井はいつものように、美緒から目を逸らすことなく微かに笑った。
 美緒もそれに答えるように小さく頷き瞳を一度瞬かせた。
 鞄を置き上着を脱ぐ坂井と、今日あったたわいもないことを喋る。別に取り決めたわけでもないのに、それはもう日課のようになっていた。
 美緒は普段の口調で会話をしながら、仕事の荷物を机に並べる坂井の横顔をじっと見詰めていた。
 坂井の年齢は美緒よりも10ほど上であるが、多分同じ年代の者よりも若く見えるかもしれない。もちろん17歳の美緒から見れば充分に大人で実際の坂井も少年のような面影があるわけではない。
 しかし子供の頃剣道をしていたらしく、そのせいかとても姿勢が良く、日頃の動きを見ても美緒の同級生とそう変わりはない。子供の頃とはいえスポーツで鍛えた体はやはり、まったく何もしてない人間とは違うのだろう。
 しかし体育会系のノリのようなものはなく、物腰はいたって柔らかい。どちらかといえば線も細く女性的な面も見えそうで、そのせいで女子生徒でも気軽に話しかけやすい。
 しかし本来はバランスの取れた鍛えられた体であり、物言いも論理的ではっきりとしている。けれどそういう見た目と実際のギャップが生徒に人気がある要因なのだろうと美緒は思った。