彼女は私から指を引いた。
琥珀の髪がさらりと揺れる。
離れて行く温もりが少しだけ寂しいと思った。
『じゃあ、もうこれは忘れるのね』
彼女の視線を追って湖面を見やると、そこには一つの陣が映っていた。
私は湖の際に座り込んで、それを見つめる。
同心円が四重、描かれている。
その間には特殊文字がびっしりと連ねられ、均等な四ヶ所に文字で形作った星と月が。
それらは四重円と重なり、複雑な図形を湖面に浮かべていた。
それは、私が作った陣。
三日かけた、死者の蘇生の術式。
それを、忘れろと言う。
確かに使わないならば覚えていても仕方ないけれど。
『ねえ、最後に教えて。
これはちゃんと完成できたの?』
きちんと計算していないから、不安は消えない。
あのときは無我夢中だったけれど、冷静になるとあんな状態で施行しなくて良かった。
万一暴走でもしたら、事だ。
彼女は、私の不安を拭うように笑みを湛えた。
それは柔らかい、まるで子を褒める母のような表情だった。
『ええ。正しく完成してる。
でも、遠回りしてるわ。もっと簡単にもできる。よくもまあ、こんな構成を考えつくものね』
彼女は微苦笑した。
それでも良い。
努力は無駄ではなかったのだから。
私はホッと息を吐いて、ふと引っかかるものに気づいた。
『あれ。
でも、待って。蘇生の術って口伝されているんでしょう?私には忘れろと言うのに、どうして?』
彼女は瞳を細めて湖を見つめた。
キラキラと反射する湖面。
彼女の瞳の中で揺れるのは、哀しみだ。
『大切な人が死んだら、誰だってもう一度を望む。命あるものは生と死を繰り返すことが摂理なのに、それを覆す力があれば蘇らせたくなる。私とあなただけが特別じゃないわ。
人間は過ちを繰り返す。愚かな生き物だもの』
愚かだと言いながら、彼女は決して侮辱しているようではなかった。
出来の悪い子ほど可愛いというような、愛しさを含む声音。
『だからもし、またあなたのような人が現れたときに、組み立てた術が正しいか、見極めなければならないでしょう?万が一にでも間違っていたら大惨事よ』
彼女の言う大惨事がどんなものを示すのか、それを私が知るのはもう少し後のこと。
『それに、誰だって同じ思いを抱くなら、誰かがこの術を完成させてしまうかもしれない。私やあなたにできたんだもの、他の人だって死に物狂いでやればできないとは言い切れないでしょう?
そんなとき、その術を見ても何をしようとしているのか、術者しか分からなかったら止めようがないわ。
口伝しているのは、ストッパーのためよ』
けれどそれは、あくまで安全策のためだけ。
本に浮き出た言葉のように、万一にも使われてはいけない。
ただそれだけのために、伝えられる術。

