犬と猫…ときどき、君



「くっそー。ギリギリじゃねぇかよ」

医局に着いた俺は、慌ててロッカーに手を突っ込み、グリーンのスクラブを掴むと、それを手早く服を脱いだ体に羽織った。


いつも通りの時間に家を出て、いつもの道を走ること数分。

いつもとは違う風景に気付いた時には、もう遅かった。


大通りの先で、信号のトラブルがあったらしく、目の前には稀にみる大渋滞。


やっと車が流れ出したのは、その数十分後。

交通整理の為に、警察が駆け付けてからだった。


とはいえ、今日も遅番だから、正確にはあと二時間後に到着してればいいんだけど。

でも早く着いて、胡桃に昨日の事を、もう一度ちゃんと謝りたかった。


他の奴ら、もう来てるよなぁー……。


そんな事を思いながら、溜め息交じりに医局を出て。


首に聴診器を下げ、診察室の裏のスペースに続くドアを開けた瞬間、

「頬っぺた、凄い腫れてるじゃないですか!! あの女、胡桃先生の綺麗な顔を殴るなんて、許せないっ!!」

聞こえたのは、サチちゃんの声だった。


「――え?」

それ以上の言葉が出なかった。


目の前で、俺の声に肩をビクつかせた胡桃が、ゆっくりと振り返る。


何で俺……そんな事にも、気づかなかった?


一瞬絡まった視線を、気まずそうに逸らした胡桃の肩から、サラサラと滑り落ちた綺麗な髪。

その隙間から、赤く腫れ上がった頬がわずかに見えて……。


「……っ」

アニテク三人娘の怒鳴り声を、動かない頭で聞きながら、俺はそこに伸ばしてしまいそうになる指先を、強く握りしめていた。


早く謝りたいのに、何て謝ればいいのかが、分からない。

きっと上手く言葉を伝えないと、ただあのバカ女を庇っているようにしか見えないこの現状に、俺は浮かんだ言葉を何度も飲み込む。


みんなに何を言われても「いいから!」って無理に笑わせて、オーナーの前では、大嫌いな嘘まで吐かせて。


胡桃に、何をさせてる?

――ホントに俺は、どうしたいんだ?