どんな状況におかれても
人は食べなければ生きて行けません。
ただ食べるだけでも大変な状況ではありましたが、食べることが唯一の癒しであったことも事実です。
だからこそ、ありとあらゆるものが足りていなかった状況であっても
働く彼の血肉となり、癒しとなるものを作りたかった。

同じ被災地でも更に深刻な場所はたくさんありました。
私の住む場所が、比較的被害が少なかったからこそ可能であったとも
思っています。

料理と、必死に真剣に向き合った一ヶ月。
この一ヶ月のお弁当に「震災弁当」という名前を付けて、記録していました。
その日のメニューと、その時々の気持ちをつづってあります
感情が不安定で支離滅裂な日もありました。
けれどそんな毎日を、そのまま残しました。

振り返るにはまだ生々しい記憶ばかりですが
あの日々を、私は忘れません。