絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 

 井野は珍しくこちらを向いて笑う。少し気味が悪いなと思ったが、「すみません、頂きます」と丁寧に断って、カップに口付けることにした。
「宮下さん!」
 突然背後から丸田に呼ばれ、飲む前にカップを一旦ソーサーに戻す。
「すみません、ちょっと」
 井野に断ったが、彼はこちらを見てはいない。
「どうしました?」
 言いながら、廊下を挟んですぐ隣の設置室まで行く。一人残してきた香月が心配なのですぐに帰ろう。
「ここ、アンテナ線がないけどこのコーナーに設置希望って伝票に書いてあるんだけど」
「え!? そこからですか!?」
 香月が打った伝票を誰か確認しなかったのかと、怒りがそこに向かう。
「ちょっと話してみます」
「次予定が詰まってるからアンテナ工事は今日できないよ」
「そうですよね」
 苦い怒りを噛みしめながら、すぐに元のリビングへ戻る。
「え……」
 さすがに驚いた。
「ちっ……」
「相当疲れていたんでしょう……」
 一つしか原因が思い浮かばなかったため、すぐに退散することを決意する。
 香月は青ざめた顔をして崩れるように、井野の手によって抱きかかえられているところであった。
「中国の物がもしかしたら体質に合わなかったのかもしれません。けど、心配しなくても、1、2時間寝かせておけば……」
「いえ、帰ります」
「ここに寝かせておけばいい!」
 井野は激しく睨んで、口調を荒げたが、まさかお茶を飲んで倒れた従業員を見捨てるわけにはいかない。
「そういうわけにはいきません! お客様のご自宅で眠るなど! すみませんが……」
「ただ横になるだけじゃないですか」
 ようやく井野は彼女を手から離した。
「突然気分が悪くなるなんて、おかしいじゃないですか!」
 井野がどんな態度に出るのか分からなかったので少し勇気がいったが、大声をあげた。
 一瞬相手が怯む。
 その隙に香月の体をソファから浮かせ、奴から少し離れた。
「……確かに、少し疲れているのかもしれませんので、今日はこれで失礼します」
「……」
 井野はものすごい剣幕で睨んでいるが、もうここは危ない。
 宮下はそのまま、くるりと向き直り、彼女を抱きかかえたまま元来た玄関へ戻り靴を履いた。忘れずに彼女の靴を彼女の腹に乗せ、そのまま出る。
 後ろも振り返らなかった。