絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 

 どうせそんな理由ではない。それを本人も薄々は気づいているだろう。昨日タクシーで話していた、彼女に好意を抱いて離婚した上司とはまた別の人間だと考えると、それだけで苦労していることが分かる。働くこと、人と関わることに向いてないことを自覚して、早々に誰か一人に決めて結婚して家に入ってしまうのが彼女のためになるに違いないのに。
「で、日本にはいつ帰る予定?」
「明日の昼に向かうわ」
「……それが上司との約束?」
「うん、まあね(笑)。ロンドンで何をしているのって聞くから、映画に行って買い物をって。本当のことなのにえらく溜息をつかれて、一日だけ伸ばしてくれるってなったの。上司に言われると、逆らえなくて……」
「それくらいの方がいいよ。誰か管理してくれる人がいた方がいい」
「そうかしら。まあ、いないよりはマシなのかもね」
 間髪入れずにどんどん会話を続けているのは、この夜が少し恐ろしいから。もう、自分が彼女を抱くことはないと強く意識していても、ほんの少しだげ、不安だから。
 例え裸で魅惑的に誘われても、絶対に完全に断らなければならない。
 なぜなら。
 その後、まさか彼女と付き合って結婚なんかできないだろう。
 ただの一夜でそこまで考える。
 そのくらい彼女のことは大切だ。人として、可愛らしくて、美しくて、仕方ない。だからこそ、何もしたくない。
 例え密室でいたって、彼女をちゃんとベッドで寝かし、自分はレポートを続ける。
 それで終わり。
 それだけのこと。
 すぐに朝は来る。
 榊は静かに一人溜息をつき、ハンドルを強く握った。家に着く前に彼女ご指名のピザだけ買う。彼女はいつものようにそれだけで嬉しそうに笑い、にっこりと何か呟いた。
 エレベーターを上がると暑くなることがもう分かっているので既にコートのボタンに手をかけながら、
「やっぱり家が落ち着くね」
とまるで我が自宅のような言葉を使うのが面白くて
「そうだな(笑)」。
 その密室に入ってもなお上機嫌で、リビングのテーブルをざっと片付け、まだ夕食には少し早いが、すぐに買ってきたピザを開ける。
「うわあ、このピザ美味しそう♪」
「ワイン、よりジュースがいいか……」
 冷蔵庫を開いて尋ねる。
「ワインでもいいよー」
「いや……俺もジュースにしておくよ。なんかあったな」
 いつか、なんだったか。買ったジュースをそのままにしていたものがあったのを思い出す。
「オレンジジュース」
「ばっちりだね♪」