絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 

「そんなことはないけれど」
 荷物はすでに朝、ホテルに預けている。飛行機のチケットも予約済み。午後3時の便でもうロンドンをたたなければ、明日の昼からの仕事にも間に合わない。
「でも、ホテルが予約とれなくても……」
「明日から俺は仕事だからな」
 榊はこちらを見ない。
「私は、別に……」
 榊は静かに首を振った。
「一旦日本に帰った方がいい」
 だが、香月はそれに反発して、
「そんなの別にどうでも。どうだっていい!」
 と、強く言い切る。
「そんなことない」
「そう!」
「そんなことないよ(笑)」
 榊は場違いなほどに優しく笑った。いつもそうだった。こっちは真剣なのに、それが子供だとでも言うように、あえて余裕をみせつけてくる。
「帰った方がいい」
「帰らない。ホテルがないなら、久司の家があるわ」
 いざ口にしてみると心臓が破裂しそうで。
 かまないように注意しながらだけ、喋る。
「俺は明日は仕事だから。今日はもう日本へ向かった方がいい」
 今度はただの真剣な眼差しで見つめられて、仕方なく、
「……」
 どこも見ずにソファに一度、背中を預けた。
「このまま空港へ行く」
「もう行く?」
「うん」
「まだ早いけど大丈夫?」
「テレビでも見てるわ」
 本当、まだ1時間くらい早い。受付を済ませても、それでも30分以上余裕がある。 
 その時点で榊を家に返すつもりだった。
 だが彼は心配だからと決してそこを離れたりしなかった。
 その、優しさが苦しめる。
 そうだ、だから仕方ない。
 午後3時、飛行機は予定通り飛んだ。
 榊はそれを展望台の窓から見送ったし、愛が確かに飛行機の中で手を振ったような気がした。
 だから、携帯電話が鳴った時は、飛行機を見間違えたと思った。離陸中に携帯電話がかけられるはずはない。
「もしもし?」
 彼女からの電話に、慌てて出る。
『もしもし。今どこ?』
「愛? まさか……」
 背後が騒がしい。
 そう、まるで、この空港の、ロビーのように。
『今どこ?』
「まさか、乗らなかったんじゃないだろうな!」