絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 

「え?」
 彼は小さなかすれた声を出す。
「した……」
「眩暈がしたの?」
「……」
 返事はないが、そうなのだろう。
「大丈夫? も、もうすぐ救急車が来るって」
「……」
 次々と後ろから新しい客が入ってくる。だが、そんなことお構いなしに。香月は榊のワイシャツを、ここぞとばかりにぎゅっと握り締めた。
「お、きゃくさま!!! 救急車を誘導して参ります!!」
 おばさんは店のことなど忘れたように外に出て行ってくれる。その勇敢な姿を見て、今度自分の店で同じようなことが起きたら、自分も店のことなど忘れようと思った。
 すぐに救急車は到着し、榊は手馴れた隊員達の手で慣れた車内に乗り込む。
 香月ももちろんそのまま車内に上がりこんだ。
「桜美院の榊先生です」
「え? あぁ、はい」
 隊員は搬送先をすぐに決めると一気に走り出した。
 榊は血圧計やら、なにやらの管をつけられて、顔色も悪かったが、
「寝不足だ……悪い」
 そこで、手の一つでも握れば……と考えたが、もし、この周りの人が榊のことを知っていて、後で愛人やらなにやらと騒がれてもまずいだろうと、決して必要以上に触れたりはしなかった。
 それが自らに課せられた使命である、と勝手に強く感じた。
「……過労……かな……」
 その言葉に、誰も応えなかったが、何も返せない自分がとても悲しかった。最近榊が働きすぎていたのかどうかも知らない。
 ただの赤の他人、今そこにいる救急隊員以下のレベルの自分は、多分この先もこのスタートラインから先へ進むことはできない。
「寝てないの?……」
「……眠い……」
 ゆっくり寝たら、とか、今日は仕事を忘れて、とか、言葉は色々頭に浮かんだが、何一つとして口にすることはできなかった。
 榊はずっと目を閉じたまま、少し口を開くくらいで。熱のせいもあって半分寝ているのだろうと思う。
「……ありがと……」
「え?」
 もう少しで病院に着くという頃になって、小さな声が聞こえた。
「助かった……」
「……レジのおばさんにお礼言わなきゃ……。あの人が救急車呼んでくれたから」
「愛じゃなかったら……倒れなかったかも……」
「どういう意味?」