少し顔を上げた視線のその先からは、若い男の声がした。店のテーブルが丁度歩道に面しているため、相手は道からすぐにテーブルまで近寄ってきた。
「今日仕事休み?」
 秋人と呼ばれた男は予想通り若く、ショルダーバックを肩から提げている。佐伯の知り合いか……あ、もしかしてさっきの相手の男というのはこの人だろうか? いや、こんな普通の人は一人もいなかった気がする。
 右手にはめている黒の指のない皮の手袋は、一体何用だろう?
「そう休みー、連休だよー。仕事の先輩と」
 紹介のタイミングだと信じ、視線を合わせて軽く頭を下げる。相手も同じようにほんの数センチ頭を下げた。どうやら初対面らしく、合コンの時のメンバーではないらしい。
「なんかいいネタあった?」
「今日は全然。とりあえず今から帰って一回寝てからまた朝出なおすかな」
「ふーん、頑張ってねー」
「おぅ」
 男は簡単に席から離れ、また道を先に進む。
「今のは?」
 香月は数秒してから尋ねた。
「近所の幼馴染みたいな奴ですよ。結構好みですか?」
「若いでしょ?」
「23」
「若すぎるなぁ……ちょっと格好いい気はしたけど」
「年齢なんて関係ないですよー……でも、彼氏があんな仕事してたら大変で嫌かなぁ」
「何? 張り込みって言ってたけど、探偵?」
「カメラマンですよ。なんか週刊誌に載るようなネタ探してるんです、いつも」
「政治家の賄賂とか?」
「そうそう」
「ふ……」
 今この瞬間、佐伯がこんなくだらない話題を出さなければ、自分は向こうの歩道など見なかっただろう。
「たぶん時々、いやらしい写真なんかも撮ってる……」
「ごめん、払っといて」
 とりあえず背中においておいたバックだけ掴んで立ち上がる。
「え……」
 それ以上何も言わずにそのまま店を出た。横断歩道まで走るのが億劫だったが、車の通行状態も多く、とてもそのまま渡れそうにない。
 仕方なく横断歩道まで走るとナイスタイミングで信号が青に変わる。確か、その信号の先の角を曲がったはず。
 確認したことを思い出しながら、息を切らせてその角を曲がるとさすがにもう姿は見えなかった。
 榊久志の。