「あら?まだ帰らないの?」
自分の稽古を終え、客席から稽古をする都織を見ている惣に声を掛けてくれた者があった。
「あ…呉羽の兄さん…都織の立ち回りを見学してたんです」
「勉強熱心ね…良い事だわ。眞絢の兄さんは海外公演中なんでしょ?」
「はい…今、細かい事を聞ける人が居ないから」
「そう言う時こそ、型を気にせずに好きにやればいいの!アンタの踊りを踊りなさい!」
「ありがとうございます」
ケタケタと笑いながら、眞絢の相手役をする事が多い女形の役者、呉羽 (くれは )は去って行く。
(呉羽の兄さん…相変わらずだな…演技も人柄も嫌いじゃないな)
そんな事を考えながら舞台に視線を戻した時に火災報知器が鳴りだす。
「煙管が原因みたいだ!早く報知器を消せ…消防に連絡が行くぞ!」
けたたましいベルの音の中、ざわめく劇場関係者達を宥めたのは、都織の付き添い役の男を演じている役者だった。
「都織!」
慌てて惣も舞台に近づく。
「あ、ああ…急に…煙が…」
投げ出された煙管に手を伸ばす都織が再び手を離す。
「どうした?」
「熱い…火なんて点けて無いのに…」
稽古どころでは無くなり、大幅に時間を押して、初日は終わった。
「都織…帰れるか?」
身仕度を済ませた惣が暖簾を潜る。
「惣…穂群の護符が…」
「護符?」
煙管と共に仕舞う様に…と穂群から渡された護符の色が紫に変わっている。
「白地だったよな?」
都織が青い顔で言う。
「ああ…都織、悪いけど先に帰る!」
楽屋を飛び出した惣だったが、すぐに戻って来た。
「そうだ…煙管を箱に仕舞ったら、これで封をしろ!」
穂群が惣の為に用意した護符を手渡す。
「ああ…何が起きてるんだ?」
「分からない…とにかく封を…」
惣は、紫に染まった護符を握り締めて劇場を飛び出した。
通常は地下鉄移動の惣が、劇場前でタクシーを拾う。
行き先を告げ、携帯電話を取り出すと、眞絢が穂群に持たせている携帯電話を鳴らす。
しかし、呼び出すばかりで穂群は出ない。
それに比例して、惣の嫌な想像が募る。
「ありがとうございました」
お釣りも受け取らずにマンションへ入るとオートロックを解除する。
やっとの思いでたどり着いた部屋の玄関は暗い。
「穂群?」
リビングのドアを開けると共に名前を呼ぶ。
「おお、惣…難儀だったな」
いつもの調子で惣を出迎えた穂群の姿に安堵するも、テーブルには救急箱が出ている。
「大丈夫か?」
「ああ…軽い熱傷だ…」
(いつもの事だ)と言わんばかりに赤くなった腕を見せる。
その穂群の身体には傷跡があり、何らかの拍子に目の当たりにすると惣は、
(穂群が自らの身を削り陰陽師をしているのだ)と思い知らされてしまう。
「冷やしたのか?」
「何か起こったのであろう?」
傷を撫でる惣の冷たい手を見つめながらも、陰陽師の顔になる。
「これ…」
紫色に染まった護符を差し出す。
「私が熱傷を受けたと言う事は炎であろう?」
「うん…まぁ、未遂だったけど」
惣は舞台稽古中に起きた事を話伝える。
女性が舞台に上がる事が出来ない。
芸事に従事し、式神となり穂群を助けるのが惣の役目となっている。
これは穂群が、桜志郎に術を掛けた時からの宿命である。
「だから、穂群が俺に預けた一番護符を渡した」
「そうか…」
「原因は?もう見えてるんだろ?」
染まった護符を見つめる穂群に惣が言う。
「見えておる…後は、どう繋げて行くかだな…」
手にした護符は、穂群が握り締めると、小さな悲鳴の様な声を上げて消えた。


