翌朝、目覚めると穂群の姿は横に無かった。
深夜の事と、過去の自分を思い出して少しだけ恥ずかしくなる。
(俺は…まだ重ねられてるのか…)
ゴソゴソと起き出すとリビングへ向かう。
リビングにも穂群の姿は無く、置き手紙と護符が置いてある。
(劇場に行く前に桜志郎殿の所に寄る。惣の護符だ、楽屋で使ってくれ)
惣が出演する舞台の稽古が始まる際に、穂群は桜志郎に会いに行く。
そして、一番最初に書き上げた護符を惣に渡す。
「これは、これは…穂群さん」
劇場の楽屋口で番頭に声をかけられる。
「香盤の差し替えか?」
「ええ、搬入は終わってますよ」
「そうか…」
いつもの穂群とは違い、式服を身に着け黒髪を結ってある。
番頭と談笑しながら小道具や衣装が並べられた部屋に入る。
「これが今回新調された衣装です…綺麗でしょ?」
「誰が着るんだ?」
「都織さんが…」
「そうか、それは念を込めなくてはな」
案内をしてくれた番頭と顔を見合わせて笑う。
一人部屋に残された穂群が印を結ぶと淡い光が起こる。
この為に書いた護符が、豪華な衣装の後ろ身頃に吸い込まれて消える。
公演の無事と、物に入ろうとする邪気達から衣装や小道具を護る事が現在の穂群の生業である。
「末永く観客達からの溜め息が漏れる様な衣装でいられると良いな」
にっこりと笑うと穂群は式服を翻して部屋を出て行く。
「次は大道具をお願いします。」
「ああ、すぐに行く」
途中、滅多に見せる事が無い様な表情で立ち回りの細部を確認する都織が見えた。
「穂群…終わった?」
惣の為に贔屓筋が新しく贈ってくれた暖簾のかかる主の居ない楽屋を都織が覗く。
「ああ、終わったぞ」
「それは今回も、お疲れ様でした…っと…昼飯行かないか?先に着替えるか?」
「すまぬ…待たせてしまったな」
喫煙所のソファーで煙を燻らす都織に声をかける。
「穂群は何が食べたい?」
「都織のお勧めが良い」
素直な穂群の言葉に都織の動きが止まる。
「俺のオススメねぇ…」
二人は劇場と隣接地する駅ビルの中の蕎麦屋に居た。
「どうした?美味いぞ?都織のオススメなんであろう?」
不思議そうに穂群が都織を覗き込む。
「うん。だから、この店にしたんだけどさ…何を食べたいか聞かれたら自分の食べたい物を言うんじゃないのか?」
「そうなのか?誘ってくれると言う事は、その者が好きな店も候補に入ってるだろう?」
「まぁ…そうだな…」
「しかし、一番困るのが(何でもいい)だと眞絢が言っていた…」
「確かにな…何?眞絢さんがエスコートする時の話?」
「いや…眞絢が夕飯を作る時…惣に問うとたまに(何でもいい)と言われるのに困っているのだ」
それ以降、二人は会話も無く蕎麦を啜る。
惣を交え無ければ二人の会話は弾まないのだろうか?
「で?何の話があるのだ?また女絡みか?」
「バレてる?今回は女絡みな事じゃないけど」
「都織との食事は楽しいが…私を劇場の外に連れ出すと言う事は…そう言う事であろう?」
にっこりと穂群が笑う。
「そう言う事」
同じく都織も笑う。
「話してみろ…」
穂群の笑顔と言葉に、都織は一枚の写真を取り出してみせる。
「阿久納の家に伝わってた…って煙管なんだけど…」
手渡された写真には、美しい細工がある煙管が写っている。
「これがか?」
「昔、贔屓筋の方がウチの先祖から譲り受けた…って物で…菊之助役のお祝いに…ってプレゼントしてくれて、この舞台で使いたいんだけどさ…」
「白浪五人男か?」
白浪五人男には、煙管が重要な役割を果たす場面が出て来る。
舞台の小道具とは言え、美術部が準備した物では無く、各々の家の物を使う役者もいる。
「うん、一応はウチのお家芸でしょ?その主役のお祝らしい。昨日…穂群に護符を貰っただろ?この煙管に使おうとしたんだ」
「護符がどうかしたのか?」
「紙吹雪になってた」
「破られていたのか?」
勘定を済ませ、二人は劇場への道を戻る。


