♢♢♢
「桜志郎様?こちらにいらしたのですね?」
庭の灯篭の陰から姿を覗かした後、自分の陰に隠れる少年に慌てながら乳母が少年を宥める。

「無理もなかろう…」
乳母の陰から少年が覗く先には、式服を纏った陰陽師が佇む。

「桜志郎様…こちらは穂群様です」

「お前が桜志郎か?」
意外に人懐こい笑顔を見せ、穂群は桜志郎と目線を合わせる。

「何をしに来たの?」

「私か?お前が、これから受け継ぐ小道具達を清めに来た」

「ふうーん」
幼くして後ろ盾を亡くした、これから何代にも渡り梨園を背負う事になる桜志郎と穂群は出会った。


「穂群?何をしている?」

「桜志郎殿か?」
筆を止め部屋を覗く桜志郎を招き入れる。

少年だった桜志郎は、名の由来となっている誕生月の桜の季節を数回重ね青年へと成長していた。
穂群はあの日のまま歳を重ねる事なく桜志郎に背丈も齢も追い越されていた。

「護符か?」

「ああ…三月に渡る長丁場の興行…何事も無く千秋楽を迎えて頂くための準備だ」
穂群が創る護符は、桜志郎が使う舞台の小道具や装置に施される。

「そうか…」
愛おしむ様に丁寧に筆を走らせる優しい表情の穂群を桜志郎は見つめる。

「この様な見物は退屈では無いか?」
墨を足す穂群が笑う。

「いや…穂群を見ている」
穏やかな表情を浮かべて桜志郎が笑い返す。

「私をか?」

「ああ…」

「何が面白くて…」


穂群の護符の効力か?長丁場の興行は無事に千秋楽を迎えた。

しかし、穂群の誤算…と言う一言で片付けるには無理を感じる場所に邪気が潜んでいた。

「!!」
舞台の隅に倒れた桜志郎を護る様にして穂群は、召喚した式神を操る。

(まさか、ここに潜んでいようとは…)
穂群の護符の勢いで、居場所を失った(物)に潜む邪気は、桜志郎の髷を結う
元結(もっとい)に潜んでいたのだ。

護る為に施したはずの護符で、桜志郎を危険な目にあわせてしまっている。
(このままだと、桜志郎殿が…)
何か手立ては無いか?
打破する方法は?
穂群は全神経を集中させ、結界を桜志郎に施す。

(チッ!)
いつも冷静な穂群には似合わない舌打ちをする。

「これからの事は桜志郎殿に任せたからな!!」
そう叫ぶと、召喚させた式神を護符の状態に戻す。
創痍を作りながら己が創った結界へ踏み入り、桜志郎へ近付く。

「桜志郎殿…」
覚悟を決めた様に呟くと、気を失った桜志郎へ手を伸ばす。

小さな鎌鼬が起きる。
穂群の式服は裂傷からの出血が染みている。
「汝を我の式神として使役する…」
そう言い放つと、陰陽師としての冷たい瞳をした穂群は、邪気を孕んだ桜志郎の髷の元結を、自分の護符と交換した。


♢♢♢

「こうして…私が桜志郎殿を…いや…惣に至るまでの一族を己の式神として使役する事にしてしまったのだ…」

「…うん…」

桜志郎から数えて八代目の惣と一緒に歩く穂群は、また桜の季節を迎えていた。
幾度も幾度も…。

「惣…お前もだ…」
三月の興行が終わった街で、二人は桜並木を歩く。

「うん…」
落ちる花弁と共に舞う穂群の黒髪に見惚れる。

「桜志郎殿は…お前も…」
結界が解かれた後、桜志郎は穂群から離れて行った。
誰も知る者は居ないが穂群の中では、その結末が正しい物となっている。

「俺は桜志郎殿とは違うよ…」
化粧を落とし現代の服を着た惣は穂群に、どう映るのだろうか?