本番さながらの装置と演出で通す稽古を覗いていた穂群だったが、開始早々に席を立ち何処かへと向かった。

劇場を出ると隣接するデパートへ行き、迷わず地下に向かい買い物を済ます。

そのまま、惣の楽屋に寄り預かった煙管を持ち、湯呑みを片手に屋上へのドアを開く。

「風が強いが良かろう…」
一人言の様に笑うと髪を靡かせて屋上に出て行く。

眺めは良く、遠くに向かい合った二つのタワーが見える。
少しだけ街の喧騒も小さく聞こえる。
その屋上には、芝生が敷かれ小さな祠が祀られている。

「ここなら私だけだぞ」
芝生に胡座をかき、惣の楽屋から持ち出した湯呑みに酒を注ぐ。
年に一度、穂群が地鎮を受け持つ劇場の祠である。

「結界は無い、酒(ささ)も良い物にしたぞ…」
心地良い風が、逆方向から吹くと穂群の黒髪を再び舞い上がらせる。

(…誰?)
髪を落ち着けた穂群は、目前に立つ影に口角を上げてみせる。

「この劇場を護る者だ…」

(陰陽師?)

「ああ…お前は誰なんだ?」

穂群の問に口を尖らせる。
(お前ですって?ちゃんと名があるのに…)

「そうか?では、名は何と申す?」
茶碗に並々と注いだ酒を口にしながら穂群が笑う。

(私?私は…)
穂群の前に、見事な振袖の裾を気にしながら座る。

「どうした?」
チラリと穂群は目をやり茶碗を置く。

(ええ…私…)
シャラシャラと簪がビル風に揺れる。
現れたモノは己を思い出せない。

「其方は煙管であろう?」

穂群の声に(煙管)の表情が明るくなる。

(仰る通りだわ…)
目線で、穂群に酒を勧められた酒に手を伸ばして笑う。


「何故、人の形をしている?」

(宿したの…あの時に…)

「あの…時?」

♢♢♢

「美しい煙管でしょ?」
穂群の前に現れた煙管と瓜二つに化粧を施した女形が笑う。

「本当だな…しかし、どうして舞台袖?」
袖で出番を待つ立役が暗転の様子を伺いながら問う。

「これを小道具に使おうと思って」
舞台では、白浪五人男が上演されている。

「良いのか?勝手を致して…」

「どうして?」

「毎回、舞台の成功と厄払いを兼ねた事を小道具にまでやってると聞くぞ?」

「大丈夫でしょ…」

♢♢♢

「では…その煙管に宿る…」

(左様…)
煙管は茶碗の酒を飲み干す。

「中々の酒豪だな…」
再び、並々と茶碗に注ぎ穂群は苦笑いし、言葉を続ける。

「何故…出て来た?護符の力まで振り払って…」

(同じだから…)

「同じ?」
そう呟くと、穂群は煙管の顔を改めて見つめ、息を飲む。

「都織?」
今、正に舞台の上で弁天小僧を演じている都織の姿に似ているのだ。

(あの人…誰なの?)
煙管の指しているのは都織であろうか?

「同じ…とは?都織か?」

煙管は首を縦に振る。
また簪が揺れ、小気味好い音を立てる。

(最初に私を手にした者に似ているの)
少しだけ懐かしむ様な瞳をする。

「あながち間違いでも無いな…」
薄紙に包まれた酒瓶を(煙管)に差し出す。

(そうなの?)
酒瓶を受け取りながら笑う。

「ああ…都織は、お前の持ち主の末裔と言った所かの?」

(…あの人は?)

「もう居ない…(あの時)とは?」


♢♢♢

「若旦那?」
舞台上で役者が囁く。

「このまま…続けて…」
額が割れ、白粉を施した肌に血が滴り、黒い振袖を汚す。

「しかし…」

「良いから!」
大入りとなった枡席の観客達からも悲鳴に近い声が上がる。
役柄等、関係なく舞台袖に人が集まる。


「若旦那…わかりますか?」
覚醒した女形に覗き込む顔、それぞれが安堵の表情を浮かべる。

「舞台…は?」

「やり遂げられましたよ…」

「良かった…でも…もう立てないだろうね…」
全てを悟り切った様な弱々しい笑顔を見せた。


♢♢♢

「それが、お前の持ち主か?」
穂群に無言で頷く。

(私が舞台に立てなくしちゃったの…)

「お前が?」

(私が傷付けたから…)