終演のアナウンスと共に着物姿や正装をした御婦人方が出て来る。

「今回も良い舞台でしたわね…」

「本当に…八代目の美しさは叔父様譲りですものね…」

「まだ眞絢さんの色香には敵わないでしょうけど…もっと出演して下さるとね…」

「ご学業優先なんて淋しいですわよね…」

そんな会話を陶酔しきった表情で楽しむ女性客達とは逆に進む者がある。
慣れた様子でごった返すロビーを、人にぶつかる事無くすり抜ける。

熱気と余韻を残した人気の無い舞台に、長い髪を靡かせヒラリと上がる。

「惣(そう)は?」

「また…穂群(ほむれ)様…こんな所から…」
鼓を箱に仕舞いながら、呆れた様に裃を身に纏う高齢の男性が笑う。

「仕方なかろう?最近の建物は複雑でな…楽屋まで辿り着けないんだ」

「そうでしょうね…貴方様は昔から方向音痴でしたから」

「ああ…それを知る者も、お前だけになったな…」

「ええ…楽屋までお連れしますよ」
(よっこらしょ)と声が聞こえ、男性は立ち上がる。
覚束ない足取りに、(穂群)と呼ばれた者は手を差し出す。

「大丈夫なのか?寿夫(ひさお)」

「やれやれ…芸名では無く本名で私を呼ぶ人も穂群様だけですね」
ケタケタと笑うと、男性は深い皺が刻まれた手で穂群の手を受ける。

「そうだな…あの寿夫が人間国宝だものな」
穂群が笑う。
どちらが案内をされているのか、一見では分からない二人だが、傍目には仲の良い祖父と孫にも見える。

「着きましたよ」

「あ、ああ…ありがとう寿夫」
寿夫用の暖簾が掛かった部屋の前まで男性を送り届けてから、
穂群は、教えられた部屋の暖簾を潜る。

「惣?」

「穂群?来てたの?」
鏡越しに白粉を落とす青年の姿があった。
カーゴパンツの脚を揃え正座をした穂群は続ける。
「全公演、無事に終えられた事、お慶び申し上げます」

「はい、はい…ご丁寧にありがとうございます」
顔を見合わせて笑うと二人は深々と頭を下げる。

「ふぅ…これを済まさなければ落ち着かなくてな」
顔を上げた穂群が乱れた黒髪を整える。


「俺もだ…」
同じ様に笑うと、惣と呼ばれた青年は穂群の目も気にせずに女物の襦袢を脱ぐ。

「八代目の美しさは、叔父様譲り…か…」
すれ違った女性客達の言葉を穂群は呟く。

「何?」
まだ引き切っていない汗を拭きながら惣が笑う。

「いや…ロビーで…客が言っていた」


「…そんなに似てるか?叔父さんに」
私服に着替えた惣は楽屋口から夜の街に踏み出す。

惣の横顔を確認して、ゆっくりと横に首を振り穂群が答える。
「いや…桜志郎(おうしろう)殿に似ている」
ポツリと呟く穂群に愚問だったと気付いた惣が慌てる。

案の定、穂群は淋しそうな瞳で惣を見つめている。
「大丈夫だ…私には惣が居る。今まで(歴代)で一番、桜志郎殿に似ている…」

「似ていて?」

「…一番に私の為に動いてくれる」

「それだけ?式神代わりだけか?」
真っ直ぐに切り揃えられた穂群の黒髪を撫でる。

「違う…一番…恋うている」
桜志郎から惣までの長い時を見つめて来た穂群の瞳が惣だけを捉える。

「うん…」
先程より赤みを帯びた様に思える穂群の唇に、惣は顔を近づける。
(あっ…)
いつもの様に身体を固くして穂群がそれに応える。

「はーっ…」
唇が離れたと同時に穂群が深呼吸を漏らす。

「最中でも呼吸くらいしろよ」
同じく照れを隠すかの様に惣が笑う。

しかし、穂群の淋しそうな表情は変わらない。
「…惣…お前は私に不満は無いのか?」

「不満?」

「ああ…式神の代わりに私に仕えなくては成らない事だ」

「それか…」

「一度、全てを話して置きたい…それに納得出来ぬならば…桜志郎殿達と同様に為れば良い」