大海の一滴


 随分時間が経っていた。
日差しの長い夏場のこの季節、窓の外は相変わらずの青空だったが、たまに通り過ぎる人々の足が、心なしか速くなっている。

 おそらく夜が近いのだ。

 そう言えばこの喫茶店には時計が無い。今、何時だろうか。

 今日は腕時計をはめて来るのを忘れてしまった。


 普段は気にも留めない些細な事が、達之の脳裏を次々と掠める。とにかく、喉がからからだった。



「失礼します」

 タイミングよく、チャップリンが水を継ぎ足しにやって来た。

 ほのかにレモンの風味が漂う水をここぞとばかりに飲み干す。



 ウエイターは空のコップに再び水を注ぎ静かに立ち去って行った。



 その水を更に半分まで飲み干していると、不思議なことに頭の中が清清しく、妙に冴え始めた。




 レモンの成分がそうさせるのだろうか?




 あれほどモヤモヤと不安な気分だったのに、おかしなもんだ。
達之はコップを眺め首をひねった。





 今度は、酷く客観的で冷静な気分になった。


 秋野月子の発言と、自分の記憶を照らし合わせる余裕まで出てきた。



 達之は、一言一言考えながら、ゆっくり口に出していく。


「……つまり、僕の父が脳死で亡くなった子供の臓器を、あなたの入院していた病院へ運んでいたんですね」


 秋野月子は、困惑気味に頭を振る。

「分かりません。先程も言いましたが、児童福祉関係の仕事をされている方は沢山いらっしゃいますし、藤川さんという苗字もさほど珍しいものではありませんから」



 だが、事実だ。



 未だ記憶は曖昧なのに、何故か確信があった。