こちらへゆっくり眼を向けて離さない、その人のよく通る声は心にズシリと重石を掛けるように脳髄に響く。



「あ、やと…、」

稽古場や自宅からほど近い場所ではあるが、その人は着物姿でなくシックなスーツの出で立ちであった。


「“彩人兄(あやとにぃ)”、とは呼んでくれないか、」

「…、」

「そう、か」

昔懐かしいそれを軽く口に出来る筈もなく、言い淀んだ末に俯いてしまう。


どこか物悲しげに自嘲した彼を前に反応出来ず、とても泣き叫ぶだとか逃げる意欲はゼロに変わった。


…なぜなのだろう――この静まり返った重い空気の中では、明らかにこちらの方が悪者な気がしてならない。


いや、現実に逃げ回って来た家族不幸娘であるのだから、それは正しいか…。


いつか会わねばならない日が来る、とは俄かに考えていた。けれどこれは時期尚早かもしれない――あまりの唐突な衝撃に、形式的な挨拶さえまもとに出来ない。



但し、今さら再会したばかりの彼のことを“兄”と呼んで良いのか…、躊躇われたのもまた事実。

その秀麗な面立ちは年齢を重ねて、どことなく鋭さを増していた。


端正な顔立ちはさらに成熟し、これでは女性から引く手あまただろう――どこをとっても似ていない。自身の凡庸さが一層のこと際立つ。



いまの格好や面立ちからも然り、世間から期待と脚光を浴びて生きていると伺える“何か”があって。


幼き頃、どれほど願っても私の手に入らなかった才能は、彼の努力によってさらに飛躍していると目の当たりにする。