「……今すぐ彼を自由にして。いえ、それだけじゃダメ、彼が安全な場所まで逃げるところを見届けさせてくれなくちゃ、約束はできないわ」

ランドバーグは私の耳元で、耳障りな笑い声を立てた。
「何と抜け目のない。まだまだお子様だと思っていたのに、いつの間にそんな一人前の駆け引きをする女におなりあそばしたのです? 恋は少女を大人に変えると言うが、おぞましい、“アレ”にそのような感情をお持ちとは」

あからさまな侮辱にカッと体が熱くなり、思いきり暴れて彼の腕から逃れようとした。なのにランドバーグの手が私の手首を掴み、鋼のような腕が体に巻き付いてきた。

「……っ……無礼なっ! 放しなさい!」
強気な言葉とは裏腹に声は震え、後ろに回されて強く掴まれた手首の痛みと、激しい狼狽のため涙が出そうになる。

「いいですとも、あなたの言う通りにしてあげましょう。その代わり、約束のしるしを今ここで、私もいただくことにします」

ランドバーグのいやらしい笑いを浮かべた顔が近づいてくる。

……嫌だ。キスされる!

必死に顔を背け、目を閉じたとき……

低いうめき声がして、いきなり手首の痛みが楽になった。と思ったら、ランドバーグが倒れかかって来た。

「きゃっ……」
あんまり急だったのと、意識を失った彼の体が思ったよりずっと重かったので、私は避けきれず彼の体の下敷きになってしまった。

……いったい、どうしたのだろう。

驚きながら半身を起こしてみて初めて、2、3歩ほど離れた目の前に、誰かが立っているのが見えた。

薄暗く狭い廊下にはぽつりぽつりと燭台のろうそくが燃えているだけで、他に明かりはない。その明かりも一番近いものが逆光だったから、すぐには誰だかわからなかった。

「……ラジール!」
私はパッと立ち上がって彼に駆け寄ろうとした。でも、何かが私を立ち止まらせた。

ラジールは血だらけだった。彼の赤い血を見て私はギクリとした。
そう、彼は私たちとは違う……だって私たち人間の血は、紫色なのだから。

けれど私をおびやかしたのは、そのことだけではなかった。ラジールは、今まで見たこともない表情で私を見つめていたのだ。

いつも優しかった彼とは別人のような……まるで知らない人に向けるような、冷たい眼差しで。