その姿を、夏哉は茫然と眺めていた。
慰めようと手を伸ばしかけて、やめる。
──こんな汚れた手で、触れられるものか。
そんな資格はないのだ。ずっと清く美しくあるべき小夜子を、血に染まった手で触れることなど許されるものか。世界でただ一人の大切な姉を守っていけるのは、弟の自分だけだ。
だが、そんな夏哉の想いとは真逆に、小夜子は望まぬ言葉を口にした。
「もう、いいの、夏哉」
いつもはナツと呼ぶ小夜子が〝夏哉〟と、やや他人行儀な口ぶりで名前を呼んだ。呼応するように彼女を見れば、小夜子は悲しげに微笑んだ。
「もう……私の為に罪を背負わないで。あなたが私を姉と慕ってくれたこと、嬉しかった。けれど、そのことで、あなたが不幸になっていくのは、嫌なの」
それは、拒絶にも似た優しい言葉。
「なに……言ってるんだよ。当たり前だろ、姉さん。二人だけの、家族なんだから……」
夏哉は肯定してほしかった。それ以外の言葉はいらなかった。縋るように姉を見れば、小夜子は力なく首を横に振った。
「お父さんの言っていたこと、本当よ……私たち、血の繋がった本当の姉弟じゃ……ない」
それは、この世でもっとも残酷な宣告だった。
「う……そだ……。姉さんまで、どうしてそんな冗談を……」
信じていた姉によって、今まで信じていたものを、あっさりと否定されてしまえば、夏哉も正気をとどめてはいられなかった。父親の言葉が、頭の中で木霊する。
〝小夜子もなぁ、お前の姉貴面しながら、全部知ってんだ。ちいせぇ時からな〟
「ごめんなさい……」
そんな謝罪の言葉などいらない。夏哉は震える小夜子の肩を、力任せに畳に押し倒した。



