ばしゃばしゃと水が跳ねる。父親は懸命に陸へ上がろうとするが、沼の淵には捕まるような物はなく、伸ばした手は何もないぬかるんだ泥を引っ掻くだけだった。
そして、もがけばもがくほど、水面に浮かんだ無数の水草が身体に絡まり、身動きがとれなくなっていく。
「なっ夏哉……!たすけてくれぇっ」
ごぼごぼと水を吸い込みながら叫ぶ父の姿を、夏哉はただ眺めていた。
「今まで育ててくれたことには感謝するよ……でも、もう助ける必要なんかないだろう?十分すぎるほど、オレはアンタに与えてきた」
「たのむ……っ!夏……」
「できればあの世では会いたくないな、父さん」
夏哉は救いの手など差し伸べなかった。それどころか、うっすらと微笑んでさえいた。
父親は、苦悶と絶望の表情を浮かべながら、やがてあぶくと共に沈んでいった。
あれほどうるさかった水音が静かになる。
夏哉は霧を吐くように、長い溜息をついた。それから、くっと喉をならし、唇をゆがめた。
「くくっ……はははははっ!血が、血が繋がってない!姉弟じゃないだって!」
笑いながら、夏哉は涙を流していた。それがどんな感情によるものなのかは、彼にしかわからなかった。
「姉さん……」
その声を、静寂が覆った。人を殺めたという実感は全くなかった。なぜならそれを証明するものも、なにもかも、鱗沼に沈んでいくからだ。
だが、夏哉は最大の過ちに気づいていなかった。この光景を、不幸にも見ていた者がもう一人いたことに。



