夏哉もまた、あの祭りで心に深い傷を負っていた。
すべてが狂いだしたのは、すべてあの祭りからだ。
夏哉は自分の両手を見た。その両手は血に濡れていた。その両手を見ても、夏哉は恐怖しなかった。自嘲して、壁にもたれる。
「その子供が化け物だったら……オレはそれ以上に……」
小夜子は夢だと思っているだろうか。そういう風に、すべては小夜子の平穏の為に、夏哉がしたことだった。
バイトの帰り道、通りかかった道で小夜子がうずくまっていた。その下には、血まみれの女が倒れていた。女の顔には見覚えがあった。よく小夜子をいじめていた女だ。小夜子はその女を一心不乱に殴っていた。女は夏哉に気づいて、助けを求めるように手を伸ばした。
しかし。
夏哉は笑ったのだ。
女の絶望し、死にゆくさまを、笑って傍観していたのだ。そこに、なにか感情があったわけではなかった。ただ、なんとなく、ゆるやかな姉の崩壊を前に笑みがこぼれた。
いつか訪れるのだ。夏哉は、姉の精神がそれほど強くないことを知っていた。だから、いつか壊れていくであろう彼女を守りたかった。
──思ったよりも、〝その時〟は近いのだ。
ようやく小夜子が正気に戻るころには、女はこと切れていた。蹴り上げても、声ひとつこぼさなかった。完全に絶命しているのを確認してから、夏哉はその遺体を森に隠した。
それから、小夜子を家まで運び、服を替えさせてから布団に寝かせた。
しばらくすると雨が降ってきた。夜叉淵に夕立は珍しくない。
驚くほど冷静に、夏哉は『好都合』だと思った。
これで、女の血の跡も、匂いも消える。
夏哉はレインコートを羽織ると、ふたたび遺体のもとに戻った。
始末するなら早い方がいい。人口の少ないこの村では、一人いなくなればあっというまに村中の騒ぎになる。



