茫然と自分を見つめたままの小夜子の父親に、真郷は気味の悪いものを感じた。
「悪いけど、俺は母さんじゃない」
「母さん……?」
「百合絵は俺の母親の名前だ」
真郷は強い口調で言い放った。すると目の前の男は、息を吐き出すように「ああ……」と漏らした。そうしてまた、真郷の顔を見る。その途端、口元がひきつったと思えば、次の瞬間には笑い声が響いた。
「はは……そうか、お前……お前が〝あの時生まれた〟もう一人か……」
ひとしきり笑った後、再び真郷を見据えたその目には、暗い光が宿っていた。
「あいつとは似てねぇなぁ。女みてぇな綺麗な顔してやがる」
ぞわぞわと悪寒が這い上がる。
あの時?
あいつ?
意味の分からない単語が多すぎる。真郷は混乱と共に、軽い眩暈のようなものをおぼえた。
げらげらと笑う、男の声が森の木々に木霊する。そのざわめきは、まるで無数の人間に取り囲まれているかのような錯覚を引き起こす。
足元から、黒い蛇が這い上ってくる。
「どうしておめぇは、こんな村に帰ってきたんだ?さては、小夜子か?」
「……っ」
「小夜子はな、この村の女だ。呪われたこの夜叉淵の、呪われた女だ」
ぞわぞわと、蛇が蠢く。その一匹がこう言った。
〝渡サヌヨ、我ガ花嫁──〟
真郷はその蛇を振り払うと、力強く踏みつけた。
「違う!小夜子は呪われてなんかいない!」
そう叫ぶと同時に、今まで動かなかった足が自由になった。真郷は踵を返すと、一目散にその場から逃げだした。これ以上、あの狂人と対峙するのは不可能だった。
しばらく走り続けて、気が付くと村長の屋敷の前だった。そこは今までの静寂と違い、人の気配があった。



