厳しいと評判だった母だけど、あたしや兄の友達が来ると必ずご飯を食べさせた。

あたしの友達は何人母のご飯を食べただろう・・・。


母は料理がとても上手な人で、料理が得意な兄も「天才」と言っていた。


友達とどこかへご飯を食べに行って、美味しいと思うと自分で考え、同じ様な味を再現出来る人だった。

だから兄が「天才」というのは間違いではないと思う。


あたしや兄の友達は母の料理が大好きで、遊びに来ても外へご飯を食べに行く事はほとんどなかった。

母もわかっていたから夕方になると友達の分までご飯を当たり前にように作っていた。

母は照れ屋なのか、ぶっきらぼうな所があって、ご飯は大体居間で食べるけど


「おかわりって言わないと本当におかわりないからね」


とソファでタバコを吸いながら言っていた。


あたしの親友の悩みも聞いて、的確なアドバイスをしていた。

親友の家族の悩みなどは真剣に聞いて諭していた。

だからあたしの親友はウチへ来る時にあたしの前に「オバサン」とまっすぐ居間へ向かって話をしていた。

親友は決まってケーキを買ってきてくれて母は嬉しそうに喜んだ。

母の誕生日が近付くとやっぱりケーキを必ず買って来てくれるから母はあたしの親友を自分の娘の様に心配して可愛がった。



母が亡くなった日。

仕事終わりで遅くなった親友は大きなアレンジの花を持って来てくれて、母の顔を見ながら「どうして・・・」と号泣してくれた。

母も嬉しかったんだと思う。

親友も本当に悲しかったんだと思う。


あたしが札幌に来てから現在までの十数年来の親友。


彼女の母との思い出は十数年あるという事だ。