「別れても、好きでいていいですか…?」


「はい。どちら様で──」

 たぶん、この時は気が動転しすぎていたのだろう──櫂はあとから後悔することになる。

 相手が誰かも確認しないまま扉を開けてしまったのだ。

「こんばんは櫂くん! ようやく住所探し当ててこっちにきたのよ──って。あなたたち何しているわけ!?」

 扉の向こうには、樫木美和がいた。

朝。大学の講堂で、霞のかかった頭のなすがままに櫂はぼうっとしていた。受けるはずの一限目はこの大講堂ではなかったらしく学生は一人もいない。

 視界に映るものは、がらんどうとした講堂ではなく昨夜の加菜子だった。

 昨日、最悪のタイミングで美和と遭遇してから──いや、あれはベストタイミングだといっていいのかもしれない。もしもあのまま美和が現れなければ自分はどうなっていたか櫂は考えたくもなかった。

 とにかく美和は、手狭な部屋に櫂と加菜子がいることを目撃した。部屋の間取りが玄関からすべて見渡せてしまうようになっていた。部屋には布団が敷き詰められて、しかも加菜子の着衣は乱れていたかもしれない。酸欠で涙目になっていたかもしれない。加菜子と美和は初対面のはずだが美和は気づいていた。部屋の中でパジャマを着込んでいる女性が櫂の姉だということに。

 そしてその直後、美和はカッと目を見開くと櫂に平手打ちを食らわせて出ていってしまった。玄関には、夜食のつもりで買ってきたのだろうコンビニのビニール袋が落ちていた。

 部屋に戻ると頬の赤みが引いた加菜子がいった。

「櫂! 何してるのよ! 早く追いかけないと!」

「……追いかけるって……なんで……」

「だってあのコ、このまえ電話してきた美和ちゃんでしょう!? わたしたちのこと勘違いしてるんだよ! 追いかけてわたしが姉だっていえばわかってくれるよ!」

 わかってくれるわけがないだろう──櫂はいうのも面倒なほど脱力感を感じていた。美和は、姉である加菜子がここにいたこと自体を怒っていたのだし、美和がくる直前の櫂は、まさに彼女が想像するようなことをしようとしていたのだ。いいわけの余地もない。

 それに、いいわけをするような間柄でもないはずだ。

「いいんだ。別に」