失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】





「離婚する前のあの子を思い出した

わ…あの笑顔…もう随分忘れてた」

母の言葉に胸が詰まった

「あんな…感じだったんだ…知らな

かった」

「記憶…無くなって…ショックだけど

…私ね…ヒドイようだけど…少し救わ

れたような気がして…ごめんね…変な

こと言って」



母は言いにくそうにそう僕に言った

そうか…母さんも…



「いいよ…僕も…そう思ってる…兄

貴の記憶からあのことが消えたのが

…僕は自分のこと思い出してくれな

くても…後悔しない…くらいだよ」

母は泣き笑いみたいな顔をした

「やっぱり…そう思う?…母さんも

ね…そう思っちゃったの…お兄ちゃ

ん…幸せそうなんだもの…」



そうだよね

母さん

やっと兄貴…解放されたんだよね



「わかるよ…幸せそうなんだ…兄貴

…いままで見たこと無いくらい」

「変よね…悲しくて悲しくてどうし

たらいいのかわからないくらいなの

に…これでいいって…どこかですご

くホッとしてるの…それが私自分で

信じられなくて…母親なのにひどす

ぎるのかな…って」

「違うよ…母さんは兄貴の辛さを自

分のことみたいに感じて生きてきた

から…兄貴言ってたよ…この前僕と

会って…いま…幸せだって…思い残

すことは無いって…僕はそれが嘘じ

ゃないって…わかる…母さんも感じ

てたんだよね…」

母は無言でうなづいた

そしてまたぽろぽろと涙をこぼした

それは悲しいだけじゃなく

兄があの苛酷な人生から解放される

その万感の切ない想いが

溢れているんだと僕には思えた