Liberty〜天使の微笑み【完】


 「また、市ノ瀬を連れて来いって頼まれてさ」

 そっか。こう何度も使われたら、そりゃあ怒るのも無理ないよね。

 「ごめんね。足に使わせちゃって……」

 「いや……別に、それで怒ってたわけじゃないんだ」

 それで怒ってないって。
 だったら他に何があるんだろうと考えていると、その訳を橘くんは話していく。

 「ほら、今日倒れただろう? なのにアニキ、家に連れて来いっていうもんだから――あ、一応親の話はしてないから」

 「そう、なんだ。――溜まってるのかなぁ」

 思わず、そんな言葉がもれる。
 また性欲を満たすためだけに呼ばれているのかと思ったら、気分が沈んでくる。

 「溜まってるって……まさか」

 「っ!?」

 も、もしかして、聞こえちゃった!?
 慌てて口を塞ぐものの、すでに発してしまった言葉は取り消せるはずもなく。

 「無理やり……迫られてる?」

 とても辛そうに、橘くんは訊ねてきた。

 「そんな、こと……」

 言えるはず、ないよ。
 自分の兄がそんなことをしていると聞かされれば、いい気はしない。下手をすれば、二人の仲が険悪になってしまう。そんなことは、絶対にいやだから。

 「……大丈夫だよ」

 咄嗟に、笑顔で答えていた。
 あぁ……また、こうやってしまう。
 周りに気付かれないよう、母親に何かされた時も、なんでもないと笑顔で答えて。
 そうやって、いつしか嘘をつくのがクセになっていた。

 「ホントに……なんでもない?」

 「なんでもないって。たまにケンカとかはあるけど、そういうことはないから大丈夫」

 また、笑顔で答えてしまう。
 やっぱり……すぐには、全部を話せない。
 美緒や橘くんには、隠さず話そうと思ったはずなのに。
 まだ、カレのことを相談するまでは、決意出来なかった。

 「じゃあ、アニキのことで何かあったら、相談してよ」

 「ははっ、その時はお願いするね。でも、今は本当に大丈夫だから――?」

 ポケットが震えてる気がして、私は中に入れていた携帯を取り出す。見ると、カレからの着信が入っている。

 「ごめん、ちょっと出るね――もしもし?」

 『今日さ、家に来いよ。かあさん遅いから、気兼ねなく出来るぞ』

 出るなり、そんな言葉が聞こえた。
 ……やっぱり、そういうお誘いなんだ。

 「ごめんなさい。まだ、体が思わしくなくて」

 『ちょっと体調悪いぐらいだろう? んなの気の持ちようだって』

 「その……今日、学校に母親が来て。それに、今はアノ日だから」

 『母親? まだそんなことにビビッてんの? いい加減克服しろよな』

 「ま、まだ……難しい、よ。怖いって気持ちが、染み付いてっ」

 『それはお前が弱いんだよ。俺も虐待されたけど、お前ほど引きずってねーだろう?』

 「そっ、なの……」

 そんなの、人それぞれ違う。
 キズの深さも、心の痛みも。
 どれぐらいで癒えるかなんて、計れるものじゃないのに……。



 『――なんで黙ってんの? 今日来るだろう?』



 言葉が、なかなか出てこない。
 だけど、いつものように行かなくちゃという思いが湧いてきてしまって。

 「…………」

 しばらく無言だったものの、私はようやく、小さいながらも言葉を発した。

 「……わ、かっ?!」

 突然、手から携帯を取り上げられる。
 何が起きたか分からなくて、目の前に視線を向けると。

 「市ノ瀬は体調が悪いんだ。ワガママなこと言って、困らせるな」

 と、いつになく低い声で、威嚇するように言葉を発し、橘くんは電話を終わらせた。
 途端、私はなぜか、体から力が抜けていく感覚がした。
 どうして……安心してるんだろう。
 まだ理解出来ない私は、何か言おうと、ゆっくり言葉を発した。

 「……なんで、あんなこと」

 そう言うと、橘くんは今にも泣きそうな表情をしていて。

 「……ごめん」

 小さく何かを呟いたと思った時には、体に、温もりがあって。



 私の体は――橘くんに抱きしめられていた。



 カレ以外の人に抱きしめられているというのに、不思議と嫌な感じはしなくて。
 落ち着きさえ、感じ始めていた。

 「もう……黙ってるなんて出来ない」

 「な、何が?」

 「……アニキと、うまくいってないだろう?」

 「…………」

 図星をつかれたものの、それを口にすることは避けた。
 今言ってしまったら……きっと、甘えてしまう。
 それは、ただ目の前にいる橘くんが手近な存在だから、そう思ってしまうだけで。