日本からはるばるやってきて、彼女に会ったのは、ものの数分だった。
まず、車で到着すると、緊張した顔の女の子と、大人の女の人2人と、後スタッフらしき人が数人待っていた。
車から降りると「え?」という顔をされた。
そうだろう、そうだろう。一家を金銭的に支えてたのが、
私のような、うら若き乙女なのだから。
私が彼女たちに果たす役割は、彼女を学校へ行かせること。
ただ、学校へ行けない理由というのが、
ただただ進学費が捻出できないという理由だけではない。
例えば、親が病気のため、幼い子が働かなければならない。
働かないにしろ、自分より年下の子たちの子もりをしなければならない。
家事をしなければならない。
親が無職のため、子どもが仕事をしなければならない時もある。
そのためには、親に就職を見つけなければならない。
就職って…農業も含めてよ。割と農業だったと思う。
土地を買ったり、借りたり、牛を買ったり借りたり、育てるものを買ったり、
そんなお金が、私の懐から毎月定期的に出ている。
と聞くと、たいそうな金が出ているように思えるが、
月々、カバン1個ぶん、服1着ぶんくらいの値段。
この国には、学校へ行く時間があるのなら、家の仕事をしろ。という思いの人がたくさんいる。
だって私が最初に来て衝撃だったのは、
「赤ちゃんには、私たちが普段食べるような食事は与えてはいけません。」
という事を熱弁している、オバちゃんがいたことだ。
そっから学ばなければならないのに、自分の子どもを学校へ行かせようと思うなんて、
難しいことなのかもしれない。
もちろん、自分が学が無いから、自分の子どもには勉強させたい。という人もいる。
だけど、自分が学が無いということを知るというのは大変だと思う。
ん?ソクラテスの無知の知?知らないという事を知るというのは、とても大切だと思う。
で、彼女達と挨拶をし、スタッフが部屋に案内した。
部屋といっても、簡単に説明すると、学校の教室1部屋を校庭に置いて、窓ガラスをとりのぞいて、窓枠だけにし、ドアも取り除いて、ドア枠だけにしたもの。
そこへ入り、水をもらった。
ごくごくと飲むと「じゃぁ、行こうか。」
と、スタッフに連れ出された。