私達は、シェムリアップでストリートチルドレンに学んだ。
お金はあげないけど、朝食に大量に出てくるパンなどの食べ物などを、子ども達にあげていた。
すると、図々しい…じゃなかった人懐っこい子どもたちは、
自分の欲しいものを要求してくる。
で、一人の子が私達のペットボトルを指さした。
喉が渇いたんだと思い、水が、4分の1くらい残っていたので、全部あげるよ。と渡した。
すると、その子は、なんということか、私達にとっては命ともいえる水を、
逆さまにし、全て水を捨てた。
で、満面の笑顔でありがとうという。
どうするの?と聞くと、このペットボトルでお金がもらえるのだという。
ほう…。
私達は、1日、1人2〜3本500ミリペットボトルの水を消費していた。
もともとゴミの山へ行くことは日程に組み込まれていたので、
空のペットボトルをとっておくことにした。
2、3日で結構な量になるわね。
それを、ゴミの山に持って行ったのだ。
日頃、ゴミの山へ行ったって、人々は私たちに無関心だ。
だが、手にペットボトルを持っているとなると、近寄ってくる。
私達にとっては、必要の無いものでも、
誰かにとっては、必要なものになる。
不必要なものは無いんだなって改めて思う。
ゴミの山だってそう。良い悪いは別にして、誰かにとって必要なものなんだと思う。
私達は、観光客で、よそ者だから、口を出せることもあるけれど、
口を出せないこともある。
自分にできる、精一杯をしたら良いと言われるけど、この空のペットボトルを渡すことが、
精一杯なのかというと、違う気もする。
私は、そんなことを、むーっと悩んでいた。
むーっと悩んだ結果、むーっと悩むのは、やめようと思った。
むーっと悩むと、動きが止まるんだよね。
考えて行動しなきゃいけない時もあるけど、
たとえば、食べ物をたくさんかって、ゴミの山の人にあいに行きたいと思ったら、
そこで、いかがですかな?と考えれば良い。
この子を学校へ行かせたいと思ったら、そこから、いかがですかな?と考えれば良い。
まず、自分がパッと頭で思ったことを大切にしようと、私は思った。
私達は、その中で、空のペットボトルを持って行こう!と思ったのだから、それで良いのだ。
誰かが悪いと言っても、私達は、それで良いのだ!!