ヤマタロの声に一瞬躊躇しながら、それでも陽人は自由になった両手で慎の襟首をつかんだ。

「1年前、深月を泣かすなって言ったのを忘れたのか!?」

……え?
……何それ?

陽人、そんなことを慎と話してたの?

いつ?
どうして?


でも、今はそれどころじゃない。

私は
「もうやめて!」
と叫びながら、ようやく部室の中へと駆け出した。


そのとき。

背後からものすごく大きなトロンボーンの音がして、部室の窓ガラスがビリビリと震えた。


振り返ると、そこに立っていたのは滝田先生だった。

きっと誰かが職員室まで先生を呼びに行ったのだろう。

陽人も動きを止め、その大きな音の方向を向いていた。

「はーい、そこまでー」

滝田先生は構えていたトロンボーンを下ろすと、
「ケンカはやめとけ」
と、言った。

さっきのトロンボーンの音は大きくて、まるで怒鳴り声のように聞こえたのに、実際に先生の口から出たのはいつも通りの頼りない台詞。


……だけど、陽人にはそれで十分だった。

我に返った陽人は、慎の襟から手を離した。

そして、その手でぶっきらぼうに慎の腕をぐいっと引きよせ、立ち上がらせる。

慎は血のにじんだ口を制服の袖でぬぐった。


「殴ったことは……悪かった……」

唇をかみ締めてそう呟くと、陽人は滝田先生に頭を下げてそのまま部室を出て行った。